それは、唐突に訪れた。
完全なる不意打ちを持って、男の世界すべてを木っ端微塵に吹き飛ばした闖入者。彼のモノの行動が男の脳を麻痺させ、彼のモノの言葉が男の神経を暴食した。一瞬刹那に男は、そのモノに世界を奪われてしまったのだ。
その抱擁は無邪気で手加減を知らず、男を押し倒し。
その言葉は無粋にして甘露の如く、男の耳を舐め回した。
男は、ただ呆然と立ち尽くすだけ。
彼の思考は止まっている。状況を理解できず、彼のモノの言動に惑わされ、狼狽し、次瞬へ感覚を紡げないままでいるのだ。その眼球に映し出されているモノが何なのかすら理解できない。何も認識できない。
彼の記憶にそれは存在しないモノだったから。
あまりに未知すぎて思考が時間に追いつかない。
ただただ自分を抱きしめるモノの言葉だけが脳に木霊する。
それは――――。
彼のモノは言う――――リピートアフターミーの如く。
「ご主人様ぁです〜」
――――嗚呼。まったくもって理解不能!
「ちょっと待て! 誰が誰のご主人様だ?!」
ようやく思考を回復させた男、ユウ・サワタリは自分に抱きついている少女へ反射的に怒鳴った。あまりにフィクションでファンタジックすぎて怒りが込み上げてしまったからだ。
少女の格好は質素なエプロンドレス、所謂メイドさんという格好をしていた。だが、それだけならまだ問題はない。ユウ・サワタリの記憶にはいつもゴシックロリータ調のドレスを着たブラボーなほど強い¥ュ女が実在しているし、どこぞの元¢謌鼡縁ツ外官にコスプレさせられている哀れなレイヴンも見たことがある。実際に確認したわけではないが、世界を牛耳る政府や企業の高官たちなら屋敷にハウスメイドくらい雇っていたとしてもおかしくはない。故に、メイドという格好だけならばノープロブレムなのだ。
だがしかし、問題なのは彼女の言動である。
神に誓ってもいい。どこにでもいそうな極めて凡庸な風体の青年でしかないユウ・サワタリが歩んだ人生の中に、己を「ご主人様」と呼ぶ少女など一度たりとて存在したことはない。例え存在したところで、それはすべて妄想であり幻想であり夢想である。だいたいその時の対象イメージなど、決まって一人の女性が演じているわけであって、眼前の少女がユウ・サワタリの記憶に存在したことはまったく皆無なのだ。
ああ、なのに。この青い長髪をたくし上げた愛らしい少女は、にこりと笑って言う。
「ご主人様はご主人様ですよぉ。いっつも一緒にいるじゃないですかー」
「いいいいいつも?! どこに?! なんで?!」
徐々に思考がクリアになっても、声は狼狽に震えたままだった。
周囲の状況も見えてくる。だがそれが拙い。真っ昼間の、人通りの多い中央公園のど真ん中でメイドの格好をした年端もいかぬ少女に押し倒されている状況を把握しただけで、脳は羞恥に沸騰してしまった。
「おだやかなときもー、激しいときもー、いつも一緒でしたですぅー。ご主人様は私に乗って日々奮闘しているのです」
「ちょ、え、うぇ?!」
少女は恥ずかし気もなく語るが、心なしか周囲の会話が穏やかではないものに変化している気がする。いっそ漫画的なひそひそという擬音であって欲しいところだが、悲しいかなユウ・サワタリはレイヴンである。その戦場の有様を把握するために磨かれた聴覚の認識力たるや、周辺市民の皆様方の陰口を聞き分けてしまうほどなのだった。
「あんな子供を…変態だ…」
「普通そうに見えて…鬼畜なのね…」
「メイド…ロリ…」
「…なんて羨ましい…」
――――いやちょっとまて後半。人としてそれはどうか。
ユウは赤の他人へのツッコミだけは冷静に行いつつ、とりあえず少女を退かそうと手を伸ばした。
「まさか路上プレイか…!」
「…なんて羨ましい…」
――――いやだから。
ユウはげんなりして、その声のした方向へひと睨みしてやろうかと目をやったときだ。
そういえば、何かを忘れていた気がする。
大切な、何かを。
それが視界に過ぎったとき、記憶に蘇ったとき、羞恥と狼狽に沸騰していた脳漿は急速に温度を失ったのだ。
例えればそれは絶対零度。自分にのし掛かっている少女の体温すら失せてしまうほど、熱という熱が体から消え失せていた。心身は限界まで凍てつき、散り散りに粉砕されて機能を失ったかのように静止状態。
それなのに汗が吹き出る。だくだくと脱水症状になりかねないくらいの勢いで流れる冷や汗は、ままならない声帯の代わりのよう。
最初に気がつくべきだった。自分を取り巻く野次馬の中に、ただ一点の静寂が存在したことを。冷たく、暗く、それでいて溶岩の如き灼熱をもって澱み陰鬱に光っていた空気を。
それは一人の女性の放つ気だった。
殺気でもなく、闘気でもなく、ただただ温度をもたない冷たい視線。鉄のように冷血で、銃弾のように熱く心を抉る冷酷。これを戦場で浴びたのなら震撼せざるを得ないほどの圧力を纏って、彼女は立っていた。
目立つ色の地毛を帽子の中に隠し、フレームが太めのメガネをかけた彼女。普段なら全く彼女の趣味でもイメージでもない服装に身を扮した女性。有名人であるからこその変装であるその風体は、いったい何のためだったであろうか。
決まっている。記憶は蘇っている。どうしようもないほど理解している。
ユウ・サワタリは彼女に会うために、この公園へ訪れたのだから。待ち合わせしていたのだから。
多忙なスケジュールを送る彼女にようやく訪れた休日を、共に過ごすためにここに来た。
――――そのはずだった。
けれど、その彼女が纏っている雰囲気はそれではない。ユウ・サワタリが望み待ち焦がれ、考えるだけで部屋をのたうち回るほど楽しみにしていたアレの空気には遠い。遠すぎる。地上から眺める空よりも、地下から眺める星よりも遙かに遠く、果てしなく絶望的に思えた。
デートには、あまりに遠すぎた。
「えー……エネ?」
声をかけた。
――――途端、ユウの世界は回転する。
何のことはない。彼女のアッパー気味に放たれた左の拳がユウ・サワタリの頬を撲ったたけのことだ。その衝撃で彼の体がぶわりと宙を舞いながら、ぐるぐると宙で回転している程度の事象だ。何の問題もない。
例えその後、猛烈な勢いでベンチに頭を打とうとも、ベンチが回転力が加わった人体との衝突威力に耐えきれずに砕け散ろうとも、そんなことは何の問題にもならない。その砕けた木製板が次々に頭上から降り注ごうとも、すべてどうでもいい些事である。
だから、問題点はただひとつ。
「ユウのバカぁあああああああ!!!!」
泣いているのか怒鳴っているのか半々な、それでもやっぱり美しい声を響かせて走り去っていく彼女こそが、ユウ・サワタリの最大の難題であった。かのかぐや姫が求婚を遠巻きに断るために提示した五つの難題など、これに比べれば容易すぎるほどに難解極めている。
「……ご主人様ぁ、大丈夫ですかぁです?」
ひょっこりと自分の顔を覗いてくるメイド少女に苦笑して、くしゃりと髪をかく。不思議と出血はなく、瘤と擦り傷で済んだらしい。身体的な問題はクリアだろう。しかし――――。
「いや、かなり、問題、あるよな…多分」
「4回転半してましたですから」
「………さて。エネってばあのゴスロリっ子か巨人の婦長にでも拳法習いだしたのかね」
だとしたら、自分の頭は打撃だけで石榴のように吹き飛んでいそうなものだが。なんたって熊どころか戦車くらい破壊しちまいそうな人間兵器を師匠に持つのだ、それくらいして当然であろう。
そんな豪胆で逞しいエネなど、心底想像したくないが。
「ああ、弱ったなぁ……これは」
「甲斐性ゼロですねぇ」
「誰のせいだよ、誰の」
思わず睨んでしまったことが気にくわなかったのか、勘違いの元凶はむっとして口を頬をぷくりと膨らませた。かなり突っつきたくなる。
「この程度の悪戯アクシデントも突破できない、情けなぁ〜い仮免マスターがいけないのです。メリルはちっとも悪くないのです!」
そう言って青い髪の少女は開き直り、えっへんぷいと胸を張った。エプロンドレスの上からでも顕著に見て取れる、貧相というよりまったく無い、むしろえぐれているとでも言った方が適当であろう胸を。
「……なぁ」
「はいです?」
「お前、いつからAIからメイドに転職したんだ?」
そう、ユウ・サワタリは心の底から訊ねたのだった。
◆
ズンズンズンズン。そんな足音を響かせるように、エネ・ノイルはバス停へと歩いていた。不機嫌を振りかざした靴音に周囲の視線が僅かに注がれるが、お構いなしに憤った心を体現して歩を進めていく。
理由不明。究明不能。ともかく腹正しい。
ズンズンノシノシ。いま眼前に誰かが塞がるのなら、太古の恐竜の如く縦横無尽に蹴散らそう。勢いを止めることなく躊躇も迷いもなく踏み潰せる。それは確信だ。
だってこんなにも、自分の血潮は煮えくりかえっているのだから。
「ユウのバカ…!」
ようやく肺に溜まっていた鬱憤を吐き捨てたのは、はたしてバス停へ辿り着いたのと同時だった。
理由単純。究明容易。
要するにエネ・ノイルは、あの状況を気に入らなかっただけなのだ。
彼を甘い声で「ご主人様」呼ばわりするメイドも、為すがままにされる不甲斐ないユウ・サワタリも、ヒソヒソとその場限りの軽蔑と好奇心を語る野次馬もすべてが気に触れた。
過密なスケジュールによる疲れのせいでもあったとは思う。歌手として、アイドルとして休む間もなく働きづめだったため、精神的に窶れていたとしても不思議ではない。
けれど、だからこそエネにとって、訪れた休日と生まれた彼との接点は楽しみで仕方がなかった。
それを裏切られたのだ。壊されたのだ。
殴ってしまったのは悪かったかもしれない。でも、それだけの事をユウはしたのだと思う。
「……いや。ユウは別に何もしていない」
エメラルドの瞳を憂鬱げに細め、彼女は呟く。だから自分は撲ってしまったのだと確認して。
ああ、確かにユウは何もしなかった。だからこそ許せない。毅然としてくれなかった彼が許せない。すぐさま取り繕ってくれなかった彼が許せない。
自分の事を一瞬でも忘れていた彼が許せない。
「………うわぁ…」
考えてみれば、なんて自分勝手で自己中心的な嫉妬かと思う。けれど、だからといって自分の行動を見直す余地はないし、改める思考など微塵もなかった。
「……そうよ、ユウは一度猛省すべきよ。彼は状況に流されすぎなの」
結論は出た。自分から謝ることはしない。このまま帰ってしまえばよいのだ。
「――――安易な手段も封じとこ」
携帯電話に着信拒否の設定を施して、エネは満足げに頷いた。
そうこうしているうちにバスが到着する。数人の乗客と共に乗車して、席に着いた。
燃料電池による静かな駆動音を響かせ、バスが発進する。ちらりと窓の外を見やるがユウの姿は確認できなかった。
「……どうせあのメイドルックの子に茶化されてるんだろうな」
息ひとつ吐き、エネは呆然と肩をすくめた。彼の性分からすれば、あの手の状況には半日以上翻弄され続けてしまうと予想がついたからだ。
ユウ・サワタリは流されやすい。というより、予測外の出来事に対して脆弱すぎるとエネは彼との付き合いからそう分析していた。
それでも彼が唯一、真っ先にイニシアチブを取った場面も確かに存在した。
以前、このコンコードシティが大量のディソーダーに襲われたときの彼の反応は、実に迅速且つ冷静なものだったのである。常に最良の脱出ルートを引き当てて、エネ・ノイルの命を救ってくれた。結局眼前に出現したソートレルによって危機に見舞われわしたものの、それでも彼のとった行動故に今もエネの人生は続いている。もし近くに彼がいなかったとしたら、エネ・ノイルの人生は間違いなくあの事件で費えて終わっていただろうから。
けれどそれは、ユウ・サワタリという人間がレイヴンであるからに他ならない。現代において最も戦場慣れしたかの存在であるからこそ、殺戮の現場においても冷静に対応できただけのこと。
普段の彼は、奥手で流されやすい普通の人でしかない。
彼が毅然として向き合えるのは、あんな非日常的な戦場だ。イレギュラーな現実に際して、レイヴンオーロラシーカー≠ニして力を振るっているだけなのだ。
「――――というわけで、このバスは我々が占拠した」
そう、例えればこんな非日常的な状況でなければ――――…。
「抵抗しなければ危害を加えるつもりはない。まぁ仮に抵抗したとしてもこの麻酔銃で眠ってもらうだけだから安心してもらおう、我々は貴君等の人命を心より尊重している」
「……え、人命?」
ふと顔を上げた先には、小銃を手にした覆面の男が立っていた。ちらりと後ろを見やれば、最後部席にも銃をちらつかせた覆面が座っているではないか。
自分も含め、乗客は呆気にとられた様子だ。ただこの状況下で騒ぎ立てる者は特別いなかった。口舌をふるう男の口調が極めて穏やかで凛としていて、その内容も音便だったからだろうか。
「貴君等は我らの崇高なる理想のため、しばらくの間人質となってもらう。目的が達せられたと同時に解放するので、安心してもらいたい」
なんと落ち着いた男だろう。それが逆に底知れない雰囲気を醸し出していて、乗客から反抗の意欲を削いでいるのか。
運転手は慌てた様子もなく、けれどルート外へとバスを走らせているように見えた。彼も一味なのか。
「………はぁ」
ふとエネは人生を振り返る。自分はこういう状況に巻き込まれやすい人間なのではないかと。とは言っても、まさかこのようなバスジャックに対してはあまりに強大すぎるアーマード・コアやレイヴン等が絡んでくることはないとは思うが。
「あの、質問…いいですか?」
次瞬に、エネは何となく口を開いていた。あの落ち着き払った男のことだ、きちんと手を挙げて丁寧に発言すれば答えてくれると考えたからでもある。
「許可しよう」
エネの目算通り、男は紳士的に質問を受け入れた。
「貴方達の目的はなんですか?」
「よくぞ聞いてくれた。普通、お前たちの目的は何だ、とか訊ねてくれる奴がいると思っていただけに、語る機会がないのかと内心落ち込んでいたところだ」
どうやら男はその一声を待っていたらしい。確かに記憶する限りでは、乗客は大した声もなく大人しくシンと静まりかえっていた気がする。大人しすぎるのも、彼にとっては拍子抜けだったのだ。
「……出来れば、そんな感じに訊いて欲しい」
というか、何なのだろうこのバスジャック犯の態度は。自信に満ちすぎた傲慢でもなく、落ち着き払った冷血でもない。世間に不満を募らせ激高する典型でもなく、自らの欲望を満たすために他者を蹂躙する狂気でもない。
うーんとエネは唸った後、過密スケジュール中に育んだ演技力を活かして問うた。
「お前たちの目的は何?! 何が望みなの?!」
ズビシッと指さし、理不尽に日常を無茶苦茶にされた者の憤慨を宿した目で叫んだ。その勢いはまさに烈火の如し。エネの演技力に思わず歓声とささやかな拍手が送られるほどだ。
しかしエネは思う。最後部座席の見張りの人、拍手してたら隙だらけすぎますよと。
「グッジョブ、マドモァゼル。では答えよう、我々の真の目的を!」
いつ仮の目的を語ったのだろう。
彼は高らかに続け、宣言した。この世すべてに宣戦布告するが如き熱を帯びて、おぞましき邪悪を吐き出すのだ。
「我々の目的は――――この世すべてを1≠ノ染めることだ!!」。
頭痛がした。
MISSION.+X 『人質解放』 justice man
どうにか野次馬の群れから逃げ出したユウ・サワタリは、はたして近くの喫茶店でお茶していた。内心こんなことしている場合ではない、早くエネを追いかけなければと絶叫しているのだが、目の前の存在を放っておく訳にもいかず、また眼前存在そのものがユウ・サワタリの自主的行動を許してくれなかったのだ。
ぶっちゃけて後者が最たる理由である。誰だって片手で銅像を粉砕するようなメイドに笑顔で「お茶が飲みたいですぅ」と言われれば、従うしかないしかないのではなかろうか。そしてディソーダーに蹂躙されて以来、折角修繕された伝説のレイヴン銅像をこんな些事な恐喝の贄として破壊されてしまった事に対して、修繕を担当した職人さんには心から同情した。
それでも、否、歩く災害を自分一人の犠牲によって未然に防げるのであれば、むしろこれは正当行為であるとユウは信じていた。そう信じたい、信じさせてプリーズ、と神に祈るように信じていた。
「……つまり、お前にそのボディを造ったのがあのナツキ・イザキで? その上それは単純にあの一級技師が時間が余ったから≠ネんて理由だと。そう仰るわけですかメリルさん」
エネへと詫びのメールを打ち、送信ボタンを押しながらユウは眼前のメイドロボに訊ねた。
「その通りですぅ………あぐぅ」
頷いて紅茶を一飲みしたメイド娘は、そのまま角砂糖をカップへ一つ二つと投入していく。苦かったらしい。
「てゆーか、あの技師がいとも容易く機械人間の躯体を造れるところは理解できる。完全なサイボーグがウロウロしている時代だからな。けどお前はAC用のサポートAIだろ? そんなんがなんで、さも当然のように人間っぽく振る舞えるんだよ」
「ナっちゃんさんが言うには、メリルは高次脳生命体と比較しても遜色ない性能なんだそうです。メリルを機能させている電脳ネットワークを構築する基本素子構造体の論理式が行う擬似思考力が…」
「いや、もういい、何いってるのかサッパリわからんから」
「仮免マスターの学力だと当然だと思うのです…………むぐぅ」
非常に屈辱的な事をあっけらかんと述べながら、再び角砂糖をひとつふたつと投入するメリル。まだ苦かったらしい。
と同時に携帯電話が鳴った。返信が来たのかと胸をばくばくさせたユウは着信が拒否されています≠ニ容赦ないセンターからのメッセージに、すっかり失意したらしい、がっくりとテーブルに突っ伏してしまった。メリルの小言より圧倒的な威力、まさに熱核弾頭級である。
「予想できてましたですけどねぇ。仮免マスター、そんな単純な手段で謝罪しようなんて男らしくないです。勿論レイヴンらしくもないのです。甘々で軟弱な逃げ撃ち戦法なんてエネちゃんには通用しないのです………ひぐぅ」
ふふんと偉そうなことを言うや否や、渋そうな顔をしてまた紅茶に角砂糖を入れるメリル。とうとう面倒くさくなったのか、角砂糖の入った瓶を掴んでそのまま逆さにしていた。ズドドと軽くティーカップの容積を超えた砂糖が落下していく光景は、とてもヘビーで恐ろしい。
「お前にだけは甘ちゃん呼ばわりされたくないよ…」
はぁと嘆息する。目の前にはカフェラテの泡の如く積もった角砂糖のカップがある。もはや飲料という領域を超えた砂糖菓子なのではないだろうか、これは。
そして店員の視線が痛い。サービスの角砂糖をたった一杯の紅茶の為にひとつ残らず使い果たした上、テーブルの上は飽和して溢れた砂糖塗れであるのだから当然の仕打ちなのだが、睨む相手が違うのではないだろうか。
――――もしかして保護者扱いされてるのか、俺。だとしたらとんでもない悪夢だ。
「つーかお前、味覚設定おかしくないか? 絶対おかしいだろ。壊れてるんじゃないのか? だったら早くイザキ技師のところへ行って直してもらってこい。うんそれがいい」
なんとかこの迷惑千万娘を追い返そうと試みるユウだが、やはりメリルは彼の言い分などまるで意に止めない様子でにこりと笑い返してくる。
「違いますです、ナっちゃんさんの設計は完璧です。ナっちゃんさんが言うには味覚なんて、本当に神経が損傷していない限りは、その人物の性質に左右されるものだから、僕にもどうなるかは分からない≠ネのだそうですよです」
「……つまり駄々甘ってことか、お前」
「ですです。だってこんなヘタレで駄目で下手くそな仮免マスターに、文句も言わず付き従っているのですから当然なのですよ」
「……」
こいつ、今の体を手に入れてから毒舌が酷くなったんじゃないのか。ユウがそんなことを思っていると、メリルの手が隣のテーブルの砂糖壺を掴んでいたではないか。まだ入れるのか、いよいよ店員の目つきが殺気を帯びてきているのでユウ的には勘弁してもらいたいところなのだったが。
『―――――番組の途中ですが、ここで臨時ニュースをお伝えします』
ふと不穏な音声が、店の隅に置いてある液晶テレビから流れる。
臨時、というからにはそれなりの事態が発生したと言うことなのだろう。ユウや店員は少なからずニュースを意識するも、メリルは無関心とばかりに砂糖をカップに注いでいた。もはやそれが砂糖の山以外の何であったのか、正しく言い当てる人物はいないだろう。
その間にもよくお昼時を任されているニュースキャスターは、淡々と事のあらましを読み上げていく。
『先ほどの午前11時11分11秒、コンコードシティにおいてバスジャック事件が発生いたしました。また同時刻他10箇所にて同様の事件が発生。現在、犯人グループは人質と共に第11番街区を不法占拠しているとのことです』
「………」
述べ上げられていく内容に、ユウは背中に悪寒を覚えながら押し黙った。ずらずらと先ほどから、妙に連呼されている数字が気になって仕方がない。そういえば今日は一体何月何日だったか。
『ここで11番街区の映像をお送りします』
画面がTVスタジオから見慣れた町並みへと移り変わり、ユウは更に絶句する。息をのむ。
街は、鮮血に染まっていた。
赤く赤く、まるで地獄そのものの真っ赤な――――1≠フペイント文字で支配されていたのだ。
街中を1≠ナ全身をマーキングしたMTがスプレー片手に落書きして、ひとつの街区に蹂躙の限りを尽くしている地獄絵図。その証拠に今も壁に落書きをされた老婦人が、布団叩きを振り回しながらMTへ怒鳴り散らし、その老婦人をご近所住まいの方々が引きずってどこかへ逃げていく背景に映っている。なんて地獄絵図だ。
項垂れる。脱力する。肩から急速に力が抜けて、腰が砕けた。ついでに布団叩きはその実布団を痛めるだけの代物だから、正しい用途では使用しない方がよいですよ、とか思う程度の余裕が生まれてしまうほどに心が空っぽになった。
『ここで現場の状況をお伝えします。現場のサカタさん?』
『はい、現場のサカタです。ご覧のように11番街区は今まさに赤の落書きによって占拠されてしまっています。彼らは一体何者なのか、一体何がしたいのか、昨夜からお袋と喧嘩状態の私の今晩の夕飯はどうなってしまうのか。訊いてみたいと思います』
訊くのかよサカタアナウンサー、っていうかお袋と仲直りしろよ。視聴者の大半が突っ込んだのははたして彼の目論見なのか。だとすれば彼は相当なやり手であると言えるのだが、それよりも気になるのは謎の落書き集団である。
勇敢にも自分の5倍はあろう人型MTの足下へ駆け寄った、ちょっとハゲ掛かった突撃レポーターサカタさん(36歳独身)は、マイクをMTへと向けた。
『貴方達はー何をしているんですかー?』
『よくぞ聞いてくれた』
意外にもMTは快くインタビューに応じてくれるらしい。土木作業用だけあって、万人に優しい態度なのだろうか。
『我々の崇高なる指導者のメッセージを流す。心して静聴願う』
『あ、じゃあその前に私の夕飯はどうなってしまうと思いますか? 今お袋と絶賛喧嘩中なのですが』
本当に訊きやがった、とテーブルに頭を打つユウ。店員のお姉さんもずるっと手に持っているお盆を落としかけていた。
『……きっと炊いていない米と、みそ汁を装ったチョコ汁が出てくると思うぞ』
それは怖い。サカタさんと一緒になって視聴者は震撼した。
『ありがとうございました、これで一応心の準備が出来ました。それでは、改めてあなた方の目的を教えてください』
『では、我らが指導者の言葉を流すぞ』
ドライバーはそうして、おそらくボイスレコーダーを再生させたのだろう。ややあって、MTの外部スピーカーから指導者と思われる人物の演説が流れ始める。
『……私の父、すなわち1無量大数1111不可思議1111那由他1111阿僧祇1111恒河沙1111極1111載1111正1111潤1111溝1111穰1111じょ1111垓1111京1111兆1111億1111萬1111、1分1厘1毛1絲1忽1微1繊1沙1塵1埃1渺1漠1模糊1逡巡1須臾1瞬息1弾指1刹那1六徳1虚1空1清1浄1阿頼耶1阿摩羅1涅槃寂靜が…』
反射的に、といっても良かっただろう。
ユウ・サワタリは演説が始まるや否や店を飛び出していた。無論ただ食いなどではなく、多めにお代をテーブルに置いてきた。紙幣をもっていたのは幸いだっただろう。
「いきらりどうしらんですぅ〜?」
もしゃもしゃと紅茶の染みた角砂糖を口いっぱいに溜め込んだメリルが、男の横に並ぶ。全速力の彼に対し、砂糖菓子を頬張ってのながら走りな耳の尖ったメイド。とてもファンタジックな光景だった。
『……人は、1に憧れ1を崇拝することで初めてひとつのォ、素晴らしい生命体へと昇華されるのである。究極にして単一、単一にして究極を求め続けることによって無限大数を超えた無限のォ秘めたる可能性を、初めて発揮できるのであァる!!』
道化のように芝居がかった演説は路上にまで響いていた。おそらく放送局が各マスメディア端末を通して、シティ中に流しているのだろう。ここ最近話題性に富んだ出来事がなく、マスコミも相当飢えていたようだ。
確かにこんな面白そうな事件はそうそうないだろう。テロや暴動、企業抗争による破壊活動などを身をもって体験している人間が多いこの世の中であったとしても、これほどまで大々的な本物の道化芝居を打つ連中は見たことも聴いたこともない。
だからといってもう少し話題は選んで欲しいと、ユウは歎きに暮れた。何せユウ・サワタリには、レイヴンオーロラシーカー≠ノはその指導者とやらに心当たりが在りすぎたのだ。
「だから! あんな事を平然と宣う奴はこの世に一人しかいないだろ!!」
そう訊ねてきたメリルに向かって、半泣きに近い叫びで返すユウ。
「あんな事です?」
「無量大数うんたらなんて普通の人は言えねぇし、何から何まで1ばっかなんてありえねぇっ!!」
「うぅん〜?……確かに1ばかりなのはともかく、無量大数くらいならメリルは言えるですよ? 10の68乗から10のマイナス26乗なんて序の口です。もっとマニアックな数量は10の5乗の洛叉から始まって、10の7乗の倶胝、そして10の14乗の阿庾多、10の28乗の那由他の次は頻波羅、矜羯羅、阿修羅、最勝といって最後は不可説不可説転となるのです。シャクシャク」
本当は世界屈指の演算力をもつらしいAIは、ふふんと砂糖を食べながら言う。外見と態度が説得力なさ過ぎであるが、コンピューターは嘘は言わないものだ。
「………その不可説なんたらって、どんな数字だよ」
興味本位に訊ねてみるユウ・サワタリだが。
「10の37218383881977644441306597687849648128乗です」
――――理解できない、脳の処理能力を超えていたようだ。とりあえず、言い切るまでに物凄い時間が掛かったのだけは覚えているが。
「正確には10の7×(2の122乗)乗ですねですぅ」
「……もういっぺん言ってみ?」
「10の372183838819776444413…」
「ごめん、俺が悪かった」
「むー、メリルにとっては数え歌みたいなものなんですけど。マスターもこの話だけはいつもそっぽ向いてシカトするんですよですー」
恐ろしいかな世界屈指のコンピューター。数え歌という児戯すら、ギガどころかテラやペタを軽く超越していくらしい。否、もっとも恐ろしいことはその計算を瞬時に理解しろとただの人間に要求してくるその暴虐ぶりであろう。ナインブレイカーだって人間、自身の脳がショートするのを未然に防ぐのは当然の行為だ。
「まぁいいです、仮免マスターに多くを求めるのは野暮ってもんですぅ。数え歌遊びはナっちゃんさんとだけ楽しむですぅ」
「………」
断言したい。そんな遊びに付き合える人間は間違いなく、その男ただ一人だけだって。ユウは鬼才と謳われた第一級技術官の恐ろしさを改めて思い知りながら、内心で言い切った。
「それはともかく、どこに行くんですかです?」
「ああ、もう…決まってるだろ、11番街区だよ。あの腐れゾンビを放置しておくわけにもいかんだろ、知人として…いや人として!」
「正義の味方としてです?」
「それはこの場合、掲げたくない。対象にしたくない」
全力疾走した甲斐あって、地下鉄駅の入り口まで数分掛からずこぎ着ける。息が上がっている自分に対して、平然とついてくる小さなメイドという構図はユウにとって少々癪なものだったがこの際目を瞑った。
「よし、いくぞ」
「それはいいですけど、仮免マスター」
「なんだよ」
振り返ると、メリルは満面の微笑みを浮かべていた。それはとても愛らしくて、つい見とれてしまいそうな極上の笑顔。
「お捜し者さんって、その人じゃないんですかです?」
「は?」
目を丸くして、メリルが指さしている方を見やる。地下鉄への階段隣に植えられた木の枝を。
そこには人間らしき物≠ェぶら下がっていた。
下半身はなく、痩せ細った肌は蒼白で静脈がくっきりと浮かび上がり、ひび割れを起こした粘土のように見えた。唇が爛れて赤い歯茎が剥き出しになり、歪に居並ぶ歯は刃のように鋭く無様。目は濁りきっているにも関わらず充血し、赤黒く沈んでいる。
幽鬼を思わせるその不気味な物体は、ぶらぶらと枝に吊られていた。
もしコレを発見した人物がメリルやユウ・サワタリではなく、ただの一般人であったのなら、悲鳴を上げ卒倒しかねない光景だっただろう。どう見てもコレは怪奇を通り越した変死体なのだから。
ただ、ユウにとってすればコレこそが、いま葬り去るべき対象なのである。
「とりあえず死ね」
次瞬、ユウは発砲した。懐から拳銃を引き抜き、相手の眉間目がけて引き金をひいた。パンッと意外すぎるほど軽い音を響かせて、しかし明らかに必殺の弾丸は幽鬼を襲撃する。
死体はそれを軽く身を捻って回避すると、まるで猿のように両手だけで枝を基点に回転し、勢いのまま飛んで地下鉄への階段を囲っている塀の上へと着地する。
まるで曲芸のように鮮やかな動きは、幽鬼たる風体には似つかわしくなかったが、逆にそれがまたこの生き物の怪異さとを演出しているように思えた。
「うぅん〜、物凄ぉくベリィベリィスロゥリィ〜。そんなことではァ、私の頭は射抜けなぁいぞユウ・サワタリくん。いいやぁ〜オーロラシーカーくん?」
ユウを見下し、パチパチとチンパンジーのように拍手するゾンビのような異形の男。眼球がぐるりと動いて見つめてくる様はおぞましいの一言に尽きた。
剥き出しの歯茎を更に露出させるようににたりと笑い、彼は続けてくる。
「この程度の攻撃はせめて1秒以内でやりたまえ。もっともォ、それでもスロ〜ゥリィだが。私がかのナイフ使いだったとしたら、君が銃に手をかけた瞬間で、君の喉と手首にナイフが投擲されて絶命しているところさァ。キッヒヒヒ!」
「やかましい、このイカれ野郎が。端からそんな事は承知済みなんだよ」
「キヒッ! だとしたらァこの銃弾1発分は授業料といったところかな。安い、随分安いバーゲンセールだねェイィヒッヒヒ!!」
緩急のある早口にして、骨と皮だけのような喉から高層ビルの共鳴みたいな音を出して笑う彼に、舌打ちして睨み付けるユウ。嫌悪と嘆息を同時に吐き捨てながら、鼻で笑い返してやる。
「お前と話してると頭痛がするんだから、手短に話せよ。何の目的であんな事してるんだ?」
「あんな事? さてどんな事? 私の体にミクロ単位で1のタトゥーを刻んだことかねぇ?!」
「………なんか以前より腫瘍みたいなブツブツが酷いと思ったら、そういうことかよ…てか違ぇよ!! 11番街区とかバスジャックやってる連中の指導者って明らかにテメェのことだろうが、ワンカウント!!!」
「アぁ、あれかい。素晴らしいだろう、私の思想に共感する理解者たち11111名による革命だよ。この世すべてを1≠ナ満たすための第一歩というわけだァ! イィヒィッイッイッイッ!!!」
天を仰ぐように両手を広げ、陶酔して謳うレイヴンワンカウント=B身長を111cmに揃えるために足を自ら断った狂気は眼前のオーロラシーカーだけでなく、世界に対して宣戦布告しているように高らかに哄笑した。
「それにしても悲しいなァ、ユウ・サワタリくん。私のことは親しみとラァブを込めて壱≠ニ呼んで欲しいねェ!」
「誰が。ああ、やっぱりこういう日が来るんじゃないかと思ってたよ。お前が完璧にイカれちまう日が!」
再び拳銃を構え、ユウは狂気に対峙する。今度こそ完全な怒りと殺意を込め、満月にも等しい凶悪を倒すべく立ちはだかる。
場は瞬時にして一触即発の緊張に支配された。風の音すらシンと静まりかえる。ジリジリと首筋が焼けるような張りつめた空気が、心に重くのし掛かってくる歓喜へすげ変わる。
「……仮免マスター」
「うるさいメイド。いま俺はとてつもなくシリアスなんだ」
「でも仮免マスター」
「うるさいって…!」
うだうだと口を開くメリルへちらりと視線を移したときに、ユウはその意図を理解した。
視線である。それも複数形の視線。じろりとこちらを迷惑そうな面持ちで睨んでいる人々の、何とも白いシュールな目つきがユウの言うシリアスな空気を木っ端微塵に瞬殺した。
彼らの言いたいことや不平不満は、その一瞬で理解できた。なにしろユウが道を塞いでいたのは地下鉄への入り口、公共交通機関の玄関口なのだ。偶然とはいえ、迷惑千万極まりないのはまったく道理であった。
「………すみません」
すごすごと脇へと寄ると、白い目で睨み付けたまま人々は横を過ぎて地下鉄へと下っていく。時折舌打ちが混じるのが、ナイフで心を抉られるようだった。明らかに自分が否であるため、弁明の仕様もないのが居たたまれない。彼らに冷たい目で見られている間、ユウは針の筵に座る思いだった。
ようやく全員が地下鉄駅へと去っていったとき、ユウの精神はすっかり衰弱していた。しかし同時に思わずにはいられない、何故彼らの目にはユウ・サワタリが対峙している怪人の存在が目に入らなかったのかということを。あれの存在を認めているのなら、ユウ・サワタリの行動を多少なりとも肯定してくれても良さそうなものなのだがと。
「まったく、仮免マスターは腹が無いですぅ。ちょっことはマスターの大胆不敵っぷりを見習って欲しいのですよ」
その答えはすぐに出た。このメイドロボの存在が彼らの視界を狭めていたに違いないとユウは確信する。あんな怪奇生物で目と脳を汚すよりも、愛らしいメイド少女を視界に納めていた方が彼らの精神にとって徳であったのは間違いない。故に壱の存在は彼らの脳が存在を否定し、ユウただ一人だけが責め苦を味わうこととなったのであろう。
憎い。人のそんな本能的ご都合主義が心の底から憎らしい。ユウは奥歯を噛みしめながら心底嘆いた。見ず知らずの他人の冷徹な視線がこれほどまで息苦しかったことなど、人生最大のことだったように思えてならない。
「……とりあえず、場所を移そう。ここは人様の迷惑になるらしい」
よほど傷は深かったのか。そんな恨みたっぷりの声色を浴びせる程度しか、今のユウには出来そうにもなかったのである。
「それはいいですけど仮免マスターぁ」
「なんだよ」
訝しげに首をかしげるメリルを再度一瞥すると、彼女はまた中空へ指さしていた。
「いませんよ、壱さん」
「なに?」
見やる。確かにあの奇想天外生物の姿はどこにもなく、忽然と姿を消していたではないか。
「いつから?!」
「仮免マスターが不機嫌な通行人さんたちを見やった瞬間にぴょーんとどっか行っちゃいましたですよ?」
「なんで言わなかった?!」
「そんな空気じゃなかったです。メリル、空気の読めないAIじゃないですから」
「それは激しく誤解だ!」
肩を落としドッと脱力しながら、ユウは断言したのだった。
◆
結局のところ自宅への帰路につくことにしたユウは、凡庸な青年に相応しいごくごく平凡なアパートメントハウスの自室に辿り着き、息を吐いた。今日一日の疲労感やストレス、脱力感などをため息と共に玄関へと置いていく。
しかし、それら鬱憤の原因たるひとつは、依然として自らの足で彼の後を追い続けてくるではないか。ユウは改めて嘆息して振り返った。
「なんで憑いて≠ュるんだよ、お前」
皮肉を含めて言ってみたものの――――確かに世間一般の認識からは異質すぎる存在ではあったが――――はたして完全なるコンピューターである彼女に憑依≠ネんてカルト的な言葉が通じるのかは疑問であった。
案の定ユウの皮肉に気がついていないらしく、満面の笑みで応えてくるメリル。最も彼の皮肉に気が付いていたところで、意にも返さない可能性は高かっただろう。なにしろ彼女はユウをご主人様≠ネどと宣くっておきながら、その実彼の言い分に露ほども耳を貸さないのだから。
「だってメリルは、仮免マスターとはもう運命共同体ですからです〜」
茶化しているのか本心なのかすら定かではない剽げた態度のまま、メリルは了解も得ないで小走りに部屋の奥へと進入していく。
「ガレージへ帰れ。その体も返して、ACの中に大人しく入ってろよ」
「え〜。折角皆さんに迷惑をかけなくて済む体を手に入れたのに、勿体ないじゃないですかぁ」
「……彷徨きたかったのか、お前」
それは確かにアーマード・コアに収まったままでは、けして敵わない願望だっただろう。ACが列記とした戦闘兵器であること以前に、10メートルの機械巨人に思うままに徘徊されたとあっては、人間の街は住処としての機能を損なうことになるのは明白だ。
ユウは今までのメリルの行動をすべて愛機たるACブレイクスルーへと置換して、その背後に広がる光景を想像する。タイルが引き詰められた遊歩道は何十トンという巨人の足踏みに粉砕され、くるくると鼓舞する機体の手振りに周囲の建物は無惨に抉られていく。巻き起こる旋風は道行く人々を薙ぎ払い――――何より、そんな愛嬌を振りまきながら抱きついてくるブレイクスルーによって、ユウ・サワタリという人間が噴水と共にグシャリと圧殺される様を瞼の裏に浮かべた。
「………お前がその体で本当に良かった」
背筋を伝う冷や汗をしんしんと受け止めながら、ユウはヤカンに水を注いで電気コンロにかけた。
「お前、何か飲むか? 言っておくが砂糖の買い置きはそんなにないからな」
「ビーフシチュぅー♪」
「無理」
即答されたメリルは「むー。ネルさんがマスターに作ったって物、一度は食べてみたいんですけどです」と残念そうに、それでもさほど深刻にでもなく笑って、キョロキョロと部屋を観察していく。ACの視点でしか世界を見たことのない彼女にとっては凡庸なユウの部屋さえも、さながら宝箱みたいに好奇心をくすぐるようだった。
「なんでもかんでも触るなよ―――…ならココアでいいか。端から甘いし」
カチャカチャとカップを用意していると、突然背後で複数人の話し声が響き、ユウが何事かと目をやればメリルが勝手にTVの電源をつけていただけのことだった。本当に自分の発言は無視され続けているのだなと嘆く。
「勝手に触るなって言ってるだろーが」
「別に危険物じゃないじゃないですか。それよりもです、男性の一人暮らしの定番であるらしい夜のオカズ?が見あたらないことに対するメリルの無念をどうにかして欲しいですよ」
意味を分かって言ってるのだろうか、このコスプレメイドAIは。いちいち彼女の言葉に反応するのも疲れてきたので、ユウは「そりゃ悪かったな」と軽く流してココアパウダーを戸棚から取り出した。
TVにはニュースが映し出されているらしい。内容は例の11番街区の特番で、近頃の乏しい話題性を挽回しようとするマスメディアの必死さが垣間見えた。しかしユウにしてみれば、あんな変人に群がる彼らがとても哀れに思えて、思わず憫笑してしまう。
「ご主人様ぁ」
「その呼び方はむず痒いからやめてくれ」
「じゃあ仮免マスター。仮免マスターはあの事件を解決しに行くんじゃなかったんですかですぅ?」
TV画面を指さしながら訊ねてくるメリルに、ユウは諦観の境地を得たように鼻で笑い飛ばした。今思えば何故自分があんな奇人の相手をしなくてはならないのかと開き直り、理由も分からないまま怒りを抱いていた寸刻前の自身を軽蔑さえする。あの狂信なレイヴンとまともに合わせること事態が間違いなのだ。
「あんなのはガードなり公安なりに任せておけばいいんだよ。見た限りじゃ装備してるのは非武装の作業用MTばっかだったし、すぐに鎮圧されるさ」
「でも壱さんがいるじゃないですかー」
「いくらあの奇人だって、自分の住処でACを使うことなんざねーよ」
「でも仮免マスターぁ、壱さんのAC映ってるんですけどですぅ?」
あ?と怪訝な顔をしてTV画面を覗くユウ。そこには言うとおり、あの白と黒のツートーンカラーを金色で縁取られた逆間接脚のアーマード・コアが堂々と映し出されていた。まるで踏ん反り返るかのように仁王立ちしている様は、呆れを通り越して天晴れとしか言いようがない。
どうやら場面は突撃レポーターのサカタさん(36歳独身)が、11台のバスジャックによって人質を取り、11番街区を1≠フ落書きで不法占拠している謎の集団の指導者らしき男に直接インタビューしている模様だった。指導者は1と大きく描かれた覆面を被り、更に古今東西の1≠現す単語が描かれた外套を羽織っている。しかもその単語を全体的に見ると大きな1≠ニ見える徹底ぶりだ。いくら覆面をしていても、その中身があの1に執着する男なのは一目瞭然である。
彼に付き従う信奉者たちは凛然として真っ直ぐに我が道を往く姿勢に感服しているようだったが、ユウからみれば我が道突き進む夜中ならぬ昼間の変質者であった。サカタアナも周囲の視線を気にして真摯な態度を保ってはいるが、内心では奇異の眼差しを向けているに違いない。
『まずはそのマントですが……すごく格好イイですね。体を張っているといいますか、エレガントです。ご自分で作られたのですか?』
『その通り。夜なべして文字通り心血を注いで作ったよ。おかげで手が、ほれ血塗れだ』
『素晴らしい。まさに会心…いや、精魂込めた出来映えなのですね』
違った。サカタさん(36歳独身)の目はそんな上っ面のものではけしてなかった。あの異形たる指導者に対して心底敬意を払い、この戦乱絶えぬ世で尊ぶべきものを見いだしたかのような燦々と輝いた目をしていた。
ユウはこのときほど、突撃レポーターの激務を呪ったことはない。きっと彼は心身共に疲れ切り、また36歳にして未だ独身であることへの焦燥感が壱という未知の領域へと駆り立ててしまったのだと嘆いた。でなければ、ユウ自身が落ち込みそうだったからなのだが。
『ではお聞きします。今回人質まで取り、このような不法活動に及んだ理由は何なのでしょうか。演説では1≠広めるためとのことですが』
『まず人質には一切手を出していないことをね、改めて報告しとくよ。我らは彼らの自由を束縛し、この街の人々に多大な迷惑を行う悪なのは一目瞭然、一目で分かるだろうね……そう1目で、イッヒッヒ!! すべては1≠ニいう尊き概念の素晴らしさを人々に知ってもらイ、この混迷を極めた世だからこそ、1≠尊ぶ在り方の必要性を知ってもらいたいがための必要悪なのだと、理解して欲しいねェ』
『ええ分かっています。貴方方は大変な紳士だ』
ユウは思案をめぐらす。サカタアナ(36歳独身)が実はすでに奴らの信望者であり、プロパガンダのためにこの番組を利用しているのではないかという可能性を。
「アホらしい…真剣に聞いてたらこっちの頭がおかしくなりそうだ」
が、それも長続きはしない。元よりユウ・サワタリにはもう、壱の起こした愚かな事件などに対する興味は微塵にもないのだ。
彼はもはやニュースをただの雑音として聞き流しながら、メリルにココアを手渡した。自分自身、何故彼に対してこうも反抗的なのか理由が分からないが、ともかく彼の言い分はすべて鼻に触るのだ。
「でも仮免マスター……んにゅ。その前にお砂糖くださいです」
「いらん」
前もってココアに砂糖大さじ%杯を投入していたユウは、げんなりしながら彼女の要求を突っぱねる。ナツキ・イザキに会う機会があれば、彼女の味覚に関して言及せねばなるまい。このままではいずれ砂糖で破産しかねない。それ以前に、メリルには大人しくACの中に戻ってもらいたいのが本音なのであるが。
「でも仮免マスターがどう無視しても、結局巻き込まれそうな展開なんですけどです」
「……」
その不本意な賓客たるメリルが何を言っているのか見当が付かず、ユウは仕方なくニュースへと意識を戻した。相変わらず熱心なサカタアナと怪人の対談は続いていたが。
『では人質の解放条件は、自らが打ち破られた時だと仰るのですね?』
『その通りィ。私の要求は強いレイヴンとの決闘さ。その神聖な戦いにおいて、諸君等は1≠フ神秘を目撃することになるだろう……でもしかし、もしも私が敗れることがあればァそれは私の信奉が足りなかった証だ。即座に人質を解放しぃ、この11番街区を明け渡すことを約束するヨ』
『では貴方が勝利したときは?』
『その時こそ私は1≠掲げ、世界へと繰り出すだろうゥ! この世すべてを1≠ナまとめ上げるためにィイイ!!』
その言葉に信奉者らしき輩――――壱の話では11111人――――が歓喜の鬨をあげた。心なしかサカタアナの興奮も昂揚しているらしい、目がギラギラと危うい輝きを放っているように見える。
『では、その対戦相手となるレイヴンは?』
『最強を。私が望んだのは儀式にして聖戦に相応しい強大な相手であったが、……ああ残念なことにぃ今のトップランカーには強き化け物≠ヘいてもね、世界を導くに足る存在は皆無なのだったァ』
手を覆面が当てて、嘆くように首を振る壱。芝居もここまで出来れば本物だろう。
『それは現火星最強たるあのナインブレイカー、アレス氏すらも眼中にはないということですか?』
『イヒヒ、つまりね、在り方の違いなんだよ。彼は鴉の王であるがぁ故に孤高! だからこそ人民を導く指導者ではぁ有り得ないのさァ――――従って私が指定するレイヴンというのはだネ。強き力を持ちながらァ、同ぅ時に強き導き手でもあらなければならない者なんだよ…!』
随分大仰な物言いだなと、ユウは呆れた眼差しでTVを眺める。しかし、その言い分は一部間違ってはいないと納得してもいた。
出汁にされたナインブレイカーの心境は定かではないが、あの鬼神の如きレイヴンは最強の武力を誇示して君臨し続けているのは事実だ。しかしその強さ故に羨望と畏怖で見られこそすれ、あのレイヴンに付き従う人間はまずいないだろうし、彼もまたそれを望むことはないだろう。
孤高して至高、ただただ強き敵だけを求めて最強へ至ことのみを欲する姿勢は紛うことなく戦神の道であり、武力によって天下を治める覇王ではない。戦場に常に独り君臨する死に神の王は、けして群れを作ることなく屍を築き続ける。しかし、その屍の山とて多くが彼にとって瑣末でしかない――――アレには敵∴ネ外への興味など一欠片もないだろう。だから指導者としてはたり得ない、という言い分は間違ってはいないのだ。
最もユウにしてみれば変質者でしかない壱だって、指導者にはまったく似つかわしくないのであるが。
『では、貴方が指名する対戦者とは一体誰なのですか?』
サカタアナの問いに、覆面の怪人は一呼吸置く。
それにしてもただ決闘を望むのなら、この大げさな演出は本当にただの迷惑行為ではないかとユウは改めて、自分の中に苛立ちが募っていくのを感じていた。エネとは喧嘩するし、メリルは唯我独尊だし、壱は理解不能だし、本当に厄日だと頭を押さえる。
そういえば、メリルは何故「でも仮免マスターがどう無視しても、結局巻き込まれそうな展開なんですけどです」と言ったのだろうと、ふと思い至ったときだ。
その解答は、怪人の口から直接もたらされた。
『私が望む対戦者たるレイヴンの名はオーロラシーカー=c…正義の味方だ!』
凛然と響き渡った宣言に、一瞬世界の音がすべて止んだような錯覚。それは緊張によるものか、ただの呆気からだったのかは定かではない。
しかし間髪入れずに鳴り響いた携帯電話の着信音が、静寂の壁を一気に崩落させた。ユウは狼狽して電話を取る。
『一体どういう事でしょうか』
声の主はメリッサ・ハルネー。レイヴンオーロラシーカー≠フ担当渉外官であった。
しかしその問いに対する答えをユウ・サワタリは持ち合わせていない。ただ一言「俺が聞きたいよ」と嘯くことしか出来なかったのだ――――本当は気付いていたにも、関わらず。
目の前ではメリルが「ほらねです」と笑っている。
嗚呼、ならばメリルはユウ・サワタリのそれを承知していたからこそ、事前にあんなことを述べたのだろうと彼は口元を歪めた。まったくこの規格外なAIはその実、きちんとマスターを補助する役目を担っているのだと思い知らされ、それが何と理不尽なことかと笑わずにはいられなかったのだ。
結局のところ――――例え誰が指名されていようと。
オーロラシーカーというレイヴンは、あの巫山戯たレイヴンを殴りにいかなければ気が済まないと言うことなのだ――――。
少なくともエネの目から見て、バスジャック犯らは有言実行を絵に書いたような誠実さで人質の安全を保証していた。
エネたちが誘導されたのは大型マンションのエントランスであり、大人数でも息苦しさを感じない適度な広さだった。そしてロープやガムテープなどで拘束されること位は覚悟していたものの、それもなく、ただ留まっていてくれればよいと命令されただけである。水や食糧も言えば支給してくれるため、乗客等は終始不満を漏らすことはなかったのだった。
それにしても、とエネは自らの携帯電話を見やる。普通、こういった外部との連絡手段は断つ筈であるから、電池を抜かれるか没収されるか、そうした処遇は予想していたのだがこれも見事に裏切られてしまったのだ。こうなると彼らは、果たして自分たちを人質として見ているのか、という根本的なことすら疑問に思えてくる。本当にただ協力を仰いでいるだけ、という感覚なのだろうか。
(そういえば、さっき一人抜けていったっけ……妻が…とか言っていたけど…)
火急的な用事のある人質は解放していると見るべきなのか。だとすれば、ますます彼らの行動の意味が分からない。それでは何のために、公安沙汰になってまで人質を取っているというのか。
先ほど流れていた放送によれば、彼らの指導者はオーロラシーカーとの対決を望んでいるという。そして、その指導者の正体は十中八九、あの人に間違いないだろうとエネは確信していた。
(……まさか、ユウを挑発するためだけに人質を…?)
「失礼。ノイルさんですか」
そう思慮を巡らしていたとき、不意に声をかけられた。見やればバスジャック犯の一人が目の前に立っていたのだ。
「我らが指導者が、貴方と面会を求めておられる。ご同行されたい」
手に持っている写真と自分を見比べているところを見ると、最初からエネ・ノイルという人物に用があったという事になるか。
エネはすぐさま相槌を打って、覆面男の後に従った。彼らの真意については定かではないけれど、不信感は既にない。断る理由はなかった。
彼はすぐ隣のマンションへと入り、エレベーターの最上階のボタンを押した。
「我らが指導者は最上階におられる。お約束だからな」
何のお約束なのかはエネの知るところではないが、どうやらこのマンションは高級な部類であるようで、一階層すべてをひとつの住宅として扱っているらしい。あるところにはお金があるものだ、とエネは軽くため息をつきながらエレベーターに乗り込んだ。男は付いてこなかった。
ほどなくして最上階へと辿り着く。カーペットの敷かれた廊下を隔てて、すぐ目の前にドアが開放されたエントランスがあった。入ってこいということなのだろう、エネは躊躇なく部屋へ踏み込む。真っ直ぐ突き進み、サロンらしい部屋の扉が開いているのを見つけて迷わず歩を進めた。
そうして呆気ないほどに、エネ・ノイルはあの奇怪なレイヴンとの再会を果たしたのである。
「イッヒィヒ、久しぶりだエネ・ノイル嬢――――といっても、君とはそれほど面識があるわけでもなかったか!」
椅子に腰掛けた1≠描いた覆面を被った人物は、今にも枯れ果てそうな声を上げてエネを歓迎してきた。その古今東西の1をあしらった外套から覗く青白く細い手や、何より足を捨て去ったその風采はまさしくエネの記憶通りのレイヴンである。覆面をしていても、彼がレイヴンナンバー1111≠ナあることは明白だった。
「いえ、それでも貴方がいなければ私も、弟のハルも生きてはいませんでしたから。命の恩人として今でも感謝しています、壱さん」
「ヒッヒ! あんなのはタダの気まぐれのマグレだ、感謝されるほどのことじゃなイがねぇ〜」
「それでも事実は事実ですから。本当に感謝しています」
エネは本心からそう語った。ジオサテライトシティで壱が庇ってくれなければ、エネを人質に取ったレイヴンヴァッハフント≠フ放った凶弾によって絶命していただろう。そして彼が戦場と化した街中を彷徨っていた弟のハルを回収していなければ、戦渦に巻き込まれて取り返しの付かないことになっていたのかもしれないのだから。エネにとってナンバー1111というレイヴンが、命の恩人であるという事実は不変のものなのである。
「まったくまったく。こんな道化に感謝したっテ、何も良いィことなんかありはしなぁいヨ。イッヒヒヒ」
壱は笑いながら椅子をキィキィと揺らした。
まるで子供の照れ隠しのような態度に破顔一笑する。
「さテ、思い出話はここまでにしてネ。本題に入ろぉ〜か?」
くつくつと笑っているように肩を揺らしながら、彼はそうして覆面の貌を向けてきた。その窶れた声に幾らか真剣みが宿っているように聞こえて、エネも無言で肯く。
「まずは掛けて掛けて。レディだけ立たせておく訳にもいかないしねぇ……何より私も立って立ち話しようにも、私は足がなイ!」
無き両足をあげるかのような様で仰け反り、ケタケタケタと壊れた玩具のような笑い方をする彼に苦笑しながら、エネも指定されたソファへと腰掛ける。
それを確かめてから、壱は話を切り出した。
「…私がインタビューされているニュースは観ていただけたかなァ? あの要望がさっき通ったって連絡があってネぇ、あと数刻と待たずに私とオーロラシーカー君とのアリーナ戦が開催される予定だヨ」
「コンコードと監督局が、許可したんですか?」
「そうだねェそういうことになるネぇ〜。彼らが言うにはネ、インタビューでの発言通り私が敗北した際、即座に人質と11番街区を解放するなら要望を飲む。ただし、私が勝利した場合にも人質と11番街区の解放は絶対条件なのだそうだ。威嚇のつもりだったのか知らないがねぇ、そんなものは杞憂だと言っておいたさ。私はどちらに転んだとしても、人質もこの街区も解放するつもりだったのだからネぇ」
キィキィと椅子を揺すりながら、壱は覆面越しに顎に手を当てた姿勢で続けた。
「同胞にはアリーナ戦が終わったと同時に、人質を解放するように前もって言ってあるのサ。お役人たちはどう思っているかは知らないけどねェ、私の目的はもう達成されてしまってぇいるから! クヒヒッ」
「目的……そう、それが私には分かりません。これほど大がかりな不法占拠行為と人質を取っておきながら、人質は殆ど自由にさせているし、11番街区にもただ落書きしているだけなんて。金銭や政治的な要求すらないのも、納得できません」
「そうだろうネぇ! 彼らお役人も困ってたよ! まったく難解で不解だろうネェこの事件は!! まさに平和的テロリズム、今日日の子供ですら行わない壮絶なラブアンドピース・テロ! こんな暴虐ばかりなぁら世界は平穏そのものだネッ、イキッイッイ!」
声高に語る壱の様は、まさに悪戯を成功させて大喜びしている子供そのものだ。パンパンと椅子の手摺を叩く様などあまりに子供っぽい。
――――それでも。エネはこの怪人たるレイヴンの底知れない何かを感じずにはいられなかった。
子供染みた振る舞いの奥に秘められた彼の深意、それを隠すための道化の姿なのではないだろうかと考えずにはいられないのだ――――。
そんなエネの心情を察したのか。壱は早変わりしたかのように、神妙な態度を取る。
「……つまりだネ、エネ・ノイル嬢。私が欲しかったのはこの状況そのものォなんだよ」
細い骨と皮しかないような腕を組み、彼は言う。
「確かに人質は命を保証されェ、不自由な思いはしていない。だがァ、それでも彼らの生活は乱されたね? この11番街区に住む人間の生活はァ、日常は乱されしまったァよね?」
そう訊ねる壱に、訝しげな視線で答えるしかないエネ。彼女にはまだ壱の真意がまったく見えていないのだ。
「程度は低い。どん底に下らない。まるで道化の児戯だよ確かに。でもね、それでも確かに人々の……彼が守るべき日常≠乱す理不尽な悪≠ノ他ならないんだよね。私が欲しかったのは、まさにそういう状況だけなんだよ……イッイッイ!」
「彼……それは、ユウ……いえ、オーロラシーカーの事ですか? 彼と戦うことに何の関係があるのですか?」
「あるのサ。少なくとも、オーロラシーカー君はもう自覚しているはずだよ。何しろ彼は正義の味方≠ネんだからねぇ…! 正義の味方には悪の秘密結社≠ェぁ必要ぉ不可欠だろう?!」
そうしてカタカタカタと哄笑する壱を前にして。
エネもようやく納得いった、と息をついた。ああ、そう言えばそうだった…と顔を綻ばして。
「もしかして壱さんって、ユウのこと……気に入ってるんですか?」
「気に入ってるともサ。あれほど凡人な青年も珍しいからねぇ、からかい甲斐もあるとイぅものじゃないかい…!」
壱は覆面の下できっとにたりと笑っていることだろう。それでも、その笑みは邪悪ではないとエネは思っていた。
むしろそれは、とても尊いものだと――――そう思えたのだ。
アリーナのバトルフィールドケーブ≠ヘ、アーマード・コアと同規模の石筍や鍾乳石が居並ぶ巨大な洞窟である。その面積は広くACが戦闘するには十分であるが、天井が低く空中戦を行うのは不可能という特徴を持ったフィールドだ。ACという人工の機械巨人が闊歩するのに何不自由ないほどの規模でありながら、信じられないことに天然自然の鍾乳洞である。
支柱のように天井から地面まで繋がってしまった鍾乳石など20m弱はあり、そうした巨大な岩石が居並ぶ光景はひたすら圧巻の一言に尽きた。窪んだ地面は天井から垂れ落ちる石灰水が溜まっているが、その水深とてアーマード・コアの足の甲まで沈んでしまうほどだ。人間が歩いたのなら、そのあまりの広大さに感覚が狂ってしまうだろう。中には鍾乳石から滴り落ちる水玉ひとつが、人間の生首に見えた、と錯覚する人間もいたらしい。
それほどの浩々たる洞窟に、オーロラシーカーと愛機たるACブレイクスルーは立っていた。とはいえ彼らレイヴンとACにとって、ケーブは慣れ親しんだ戦場のひとつでしかない。大自然の驚異をありありと見せつけられて感慨こそすれども、戦争の代行者がまず考えるのは如何に有利に地形を利用するかなのだ。そして、オーロラシーカーとブレイクスルーがこのバトルフィールドに立っている理由は観光などでは勿論無い。戦うために在るのだ。
対戦相手は無論、オーロラシーカーを指名してきた男、ナンバー1111である。自身もやる気十分に承諾はしたが、監督局の要請を受けてのアリーナ出場であった。
壱の要求を監督局が呑んだのは、レイヴン同士のアリーナ戦を執り行うこと自体に何の問題もなかったことと、そんな些事で事件を解決できるのなら安い勘定であると踏んだためである。そしてアリーナの開催数が人気に反して減少気味である近況において、これほど余興を兼ねたアリーナ戦を見逃す手はないだろう。利潤を考えれば、彼らにナンバー1111の要求を断る理由はなかったのだ。
そうして、オーロラシーカーは愛機と共に対戦相手の登場を待っている。
いや――――正確にはもう一人と、だが。
「……ていうか、なんでお前そのまんまなんだよ」
頭痛を噛みしめるように漏らしたオーロラシーカーの言葉を、彼の座席の後ろで受けた少女メリル≠ヘ満面の笑みで応えた。
「仕方ないじゃないですか。ナッちゃんさんは別件でいなかったですし、ナっちゃんさん以外にメリルを元に戻せる人がいなかったんですから。唯一同レベルのトーラちゃんだって見つからなかったんですし」
「そんなん、ただAI外してACに組み込むだけでいいんじゃないのかよ」
「メリルをそんな外付けHDDみたいに言わないでくださいですぅ。メリルはとってぇーもデリケートにできてるんですよ!」
「嘘だ、信じられない」
少なくともこのメイド少女の態度から、デリケートなんて言葉は連想不可能だ。
「ぶー。別にいいじゃないですかぁ、こうやって接続すれば機能的にはぜんぜん問題ないんですからです!」
耳後ろあたりに繋がれた接続ケーブルを手でぶんぶんと強調しながら、頬を膨らませて愚痴るメリル。ケーブルはブレイクスルーと接続されており、例え人形のままであってもサポートAIとしてちゃんとACに組み込まれている状態であるらしい。
しかしユウ・サワタリは内心、この事態を危惧していた。何せあのような接続端子をわざわざ設けているということは、ナツキ・イザキには端からメリルを元に戻すつもりはないということにならないだろうか。
もしそうなれば、メリルという傍若無人なる存在は終始ユウ・サタワリの世界を跳梁し続けると言うことになる。まさにメリル・ザ・ナイトメアレだ。
考えるだけで、頭痛が酷くなった。そのうち胃に来そうな勢いだ。
「戦闘中にシートの後ろで騒がられたら迷惑だっつーの」
「ああ、それなら問題ないですよ。メリルがサポートしている間は、この躯体はダウンしてますですから。いつも通り音声だけでナビゲートするのですよ」
「………はぁ」
これからもずっと自分の意思はシカトされ続けるのだろうと、改めて自覚してついため息を零してしまう。もし意思があるのならお前も何か反論してやってくれと、愛機に心の中で囁いてみたりもするというものだ。
けれど何故だろう。この数年、共に戦場を駆け抜けた相棒はたった数ヶ月の付き合いのメリルに付きそうな気がしてならない。所詮機械、生身より機械の女を取る気がするのだ。いやそもそもブレイクスルーの性別の有無など知る由もないが。もし女だったらマジごめん、レズビアンとは知らなかった。
「ところで仮免マスター」
シート越しにひょいと顔出して、耳元で訊ねてくるメリル。呼吸していないので息が掛かるということはないが、それでもその唇が耳元にあるというのは何ともこそばゆい。
だがいい加減彼女の行動にも慣れたのか、相手がそもそもメリルだからか。性的な羞恥は感じず、むしろ煙たい印象だ。五月蠅いスピーカーを耳元に押し付けられた感覚だろう。
「なんだよ。もう少しで試合開始なんだから、ダウンするならとっととダウンしろよ」
「むむー、そんな邪険にされちゃうとメリル、もうサポートしてあげないですよぉです」
「勝手にしろ。別に頼んでないぞ、俺は」
鬱陶しいという感情が先走ってか、つい売り言葉に買い言葉をしてしまった。
しかし、それが事実でもあるのだ。前マスターであるアルヘイムがレイヴンを辞した際に、彼の願意でサポートAIメリル≠ヘブレイクスルーに搭載されることになったのだが、アーマード・コアの機能的に利点こそあれ不都合がなかったから話の流れで了承こそしたものの、メリルの存在が必要不可欠であるとは感じてはいなかった。その見解はいまでも変わらないままだ。
なにしろメリルを搭載してから変化したと自覚できるものといえば、コックピットが喧しくなかった、だけなのだから。
「ぶぅ。仮免マスターは壱さんと戦ったことあるんですかぁです?」
「ねーよ。知らない間にアイツ最下位に落ちてたし、いっぺんも同ランクになったことないからな」
言いながら――――そういえばメリルはアルヘイムと共にいたということは、最下位に落ちる以前の壱との戦闘記録をもっているのではないかという考えに至る。つまり11位ランカーとして君臨していた頃のナンバー1111の戦闘能力を、メリルは身をもって知っているのだ。
といってもそれを問いただす必用性は感じなかったが。何しろ昔と今のワンカウントでは恰幅からして異なるのだから。
「………ふーん、わかりましたです。仮免マスターはちょっと痛い目にあえばいいんです」
ツンと顎を上げて、シート後ろへと引っ込んでいくメリル。ちらりと見やれば、もう躯体そのものをダウンさせたのか。先ほどまであれほど活発だったメイドルックの少女は、瞑目したままピクリとも動かなかった。
「まるで死体でも置いてるみたいだな」
皮肉をひとつ呟いてみるが、反応はない。おそらく聴いてはいるのだろうが、無視しているのだろう。完全にへそを曲げたようだ。
「いいさ、好きなだけ傍観してろよ。お前なんかいなくても――――」
相手はあのナンバー1111である。確かに111位のどん底にまで滑り落ちていった道化者ではあるが、それでも七年前には11位ランクに君臨していた実績は本物だ。ACのアセンブルもすべて異なりはしても、油断大敵である相手であることに変わりはない。
だが、オーロラシーカーとて実力は上がっている。今ならばトップランカーとまではいかなくても、11位の座は十分に狙える実力には適っていると自負していた。メリルのサポートが無くても、壱と戦う分には問題はないのだ。
彼女の言い分が気にならないと言えば嘘になるけれど、その懸念以上に勝利する自信が上回っていた。
「アイツを張り倒すくらい、俺だけで十分だよ」
はたしてメリルはその言葉をどう取ったのかは定かではない。
ただ約束の時間が訪れ、前方のゲートが開放されてACが迫り上げてくるのが見えた。
「ようやくお出ま―――…」
呟いたが刹那、ソレは訪れた。
『1ぃいいいいいい!!!!』
『1ぃいいいいいい!!!!』
『1ぃいいいいいい!!!!』
通信機から響き渡るシュプレヒコールは、間違いなくナンバー1111を讃えたものであった。その大音量は殺人的であり、たまらず通信機のボリュームを最低限まで下げる。それでも鼓膜を引き裂かんばかりのけたたましさだ。
『1ぃ、それは1ぃ!! 唯一絶対、それは1ぃぃ!!!』
『唯一無二、それは1ぃぃぃ!!! 思考の宝、それは1ぃいい!!!』
『愛してる、それは1ぃいい!!! 愛してる、だから1ぃいいい!!!』
喚声はいつの間にか大合唱へと移行している。歌詞は意味不明だが、人を気絶させるには十分な音量と、微妙にオペラを任せても遜色ない美声だった。エコーのかかり具合が絶妙である。それも限界を無視した音量のせいですべて台無しであったが。
「いったい何なんだよ…ッ」
涙目に怒鳴ったユウは、眼前を見て更に頭痛が増した。
現れたACは間違いなく壱のACワンカウントであったのだが、その出で立ちはもはや別物だったのだ。
指導者を称しインタビューに応じていた壱が身に纏っていた外套と同じものを羽織ったその風体は、もはや兵器ではない、ダークヒーローさながらである。しかもわざわざ風でも送っているのか、鬱陶しいくらいバサバサと靡いては生地に刺繍された1≠フ文字を強調していた。
極めつけに、ワンカウントは天高く右手を掲げビシッと人差し指を立てたではないか。それが示すところ、即ち1∴ネ外の何物でもない。
そして爆発。ワンカウントの背後にあった水深2メートル弱ほどの水溜まりが、特撮の演出の如く飛沫をあげたのだ。まさに三流ダークヒーローの有様を演出するには十分すぎる芸であった。
『1ぃいいいいいい!!!!』
『1ぃいいいいいい!!!!』
『1ぃいいいいいい!!!!』
はたして盛大な大声援に送られて、道化は姿を現したのである。
強力すぎる精神攻撃を伴って。
「お、お前って奴は…」
アーマード・コアのアリーナ戦が一種のプロレス染みたスポーツであるという見方も否定はしない。が、ここまで道化芝居を自演したレイヴンは過去例を見ないだろうと断言もできる。
故に、そのあまりの馬鹿馬鹿しさを目の当たりにして、口元が自然に引きつってしまう。こんな奴に指名されてしまったことで逆に恥ずかしくなって、穴があったらもっと深く掘って潜りたい心境だ。
しかし、ユウの発言を遮るかのようにワンカウントの人差し指が天井から、ブレイクスルーへと移してきたではないか。
「私はここにぃ誓約するゥ!! 私は彼、オーロラシーカー君を見事11撃≠ナ仕留めるとォ!!」
「な…?!」
「そして彼ェ、オーロラシーカー君は11分11秒コンマ11にィ、この私の11撃目の攻撃によってェ、その体に111≠刻まれて打ちィ倒されぇ〜る!! そして、その時人々は知るのだ…―――1≠ニいう偉大なる神の数字の奇蹟をおォォ!!!」
その宣戦布告らしい態度の次瞬に紡がれた言葉は、やはり宣誓だったのだ。再び天へ指を掲げるワンカウントに、更なる喚声が巻き起こった。
『1ぃいいいいいい!!!!』
『1ぃいいいいいい!!!!』
『1ぃいいいいいい!!!!』
音量を落としているにも関わらず流れてくる大音響は、現場の熱狂をヒシヒシと肌に伝えてくる。その狂い具合をもって精神を殴打してくる。
それは、オーロラシーカーにとっては不快極まる罵倒のような唱和。
「……ざけんなよ」
ギリッと奥歯を噛みしめる。知らずに声が漏れていた。
それは怒りだ。
「そして断っておくが、私のACワンカウントは何一つ特別な物ではァない。ただ皆の知ってのとおりハンドガンだけは改造されているゥがねェ。マガジンを排除し、中折れ式の単発銃でしかない。しかし、何の問題もないのだよ。このワンカウントこそは1≠フ代行者、奇蹟の具現者なのだから!!! この世すべてを1ぃにイイイイイイ!!!」
『1ぃいいいいいい!!!!』
『1ぃいいいいいい!!!!』
『1ぃいいいいいい!!!!』
喚声は留まることを知らない。
ユウの苛立ちなど気にもしない。
ああ知っている。奴のACワンカウントを構成するパーツは、すべて1≠パーツ名称に含んだ代物だ。機体性能など度外視した、ただただ嗜好のみを反映させた駄作でしかないということを、共に戦場に立ったユウ・サワタリはよく熟知していた。否、それなりに経験を積んだレイヴンであれば今のワンカウントがどれほど脆弱で杜撰な機体であるかなど一目瞭然。それほどの劣悪をもって、彼は勝利を謳い、奇蹟を唱えている。
そして、11撃でオーロラシーカーを倒すと高らかに宣するのだ。
彼の武装は巫山戯た改造を施したハンドガン。マガジンシステムを切り捨て、装填方法を太古のショットガンの如き中折れ式にした単発のハンドガンだ。そうまでして得たスペックは、中折れ式にしたことでの耐久性の低下と弾数の低下、リロードが遅い事だけ。戦闘中のACに熟達した人間の如き神速の装填行為を求めるのはあまりに酷であるのだから、当然の結果だった。かといって弾丸そのものの威力が増えたわけでもなく、ただただ不都合だけを残したあまりの愚挙故に、規定された範囲内のチューニング以外は禁止されているはずの改造行為を認められた、無様なイレギュラーウェポン≪ZWG−HG/111≫ハンドガンがワンカウント唯一の射撃武器。
そしてもう一方の火器は、何の変哲もない三連装レーザーブレード≪ZLS−T/100≫だ。とはいえオプションパーツで出力を向上させたわけでもない、ごくごく一般的なレーザーブレードでしかない。アーマード・コアとしては最下級の総火力であると言えた。
ただそれだけの低火力を持ってして、たった11撃でオーロラシーカーのブレイクスルーを仕留めてみせると豪語する。
それがどれだけの無理難題か、レイヴンならば火を見るより明らかであるのに。
豪語した、眼前の道化――――。
怒るには十分すぎる理由だった。
「ふざけるなぁああ!!!!」
激昂したオーロラシーカーのブレイクスルーが、ロングライフルをワンカウントに構える。眼前に表示されている文字はLady=\―――。
「では魅せよう、1の奇蹟いいいいいい!!!!」
Go≠フ文字と共に放ったロングライフルの高速徹甲弾が、ワンカウントの外套を散り散りに吹き飛ばした。ただの布でしかなかったソレは、戦車の装甲すら穿つ弾丸に蹂躙させて風船のように破裂したのだ。
だがそんな事はもう関心にない。視線は横に飛んだワンカウントを追っている。
ワンカウントの機体構成は計らずとも軽量級逆間接脚ACに仕上がっている。装備しているブースター≪ZBT−Z1/ARTERE≫が最高出力を誇るパーツであることもあって、その瞬発力はかなりのものだ。しかし、同時に最悪に稼働エネルギーを食うブースターでもあるため持久力は皆無に等しい。わざわざジェネレーターのリミット出力値を11111≠ノ落としているせいで、ワンカウントのスタミナの無さは顕著だった。
「そら見ろ、このトチ狂いがッ」
物の数秒のブーストダッシュで息切れしたワンカウントに対し、容赦なくロングライフルの攻撃を見舞う。ライフル中最大の威力と連射力を誇る高速弾が、ワンカウントの貧弱な装甲を見る見るうちに抉っていく。
軽量級に仕上がっているということは、その耐久力はどうしても低くなるということだ。
しかし、敢えて耐久力を犠牲にすることで機動性を増し、その高加速と高い運動能力をもって被弾することなく戦闘を有利に進めるのが、軽量級ACの特徴である。熟達したレイヴンが扱うならその動きはまさしく鬼神であり、機動性に劣る機体は為す術もなく撃破されていく事だってある。そうした観点で言えば、ハンドガンとレーザーブレードのみというシンプルな武装は、軽量級ACとしてけして間違ったものではない。
けれど、ワンカウントは高い加速力は確かに備えているが、肝心のスタミナがなければそのスピードを維持することは敵わないのだ。そして、彼の装備する逆間接脚部はもっとも安価な脚部であり、その運動性はお世辞にも高い物ではなかった。そのうえ不要とも思える背中の二対のレーダーや両肩の追加シールドは、その重量と消費電力を持って更に軽量級の利点を殺している。
結果、軽量級でありながら軽量級の特徴を無駄に殺してしまっている駄作。それがワンカウントなのだ。
「お前の馬鹿騒ぎに付き合う身にもなれ、大洞吹きが!!」
被弾を逃れようと石筍の影へ逃れていくワンカウントへ、中型ミサイルをロックして撃ち出す。水平に突き進むミサイルはその火力をもって石筍を吹き飛ばし、射線が開けたことでライフルの弾幕を浴びせ続けた。
ハンドガンの有効射程外を維持し、ワンカウントの機動性ではどうしようもない機動力を発揮して攻撃し続ける。
為す術もなく無様に装甲を失っていく壱の機体に、ユウはどうしようもない苛立ちを覚えた。
何故七年前の機体を捨て、そんな道化に成り下がったのか。
何故道化を演じるのか。
何故、こんな馬鹿げた芝居を打ったのか。
何故、こんな負け戦を仕掛けたのか。
そんな疑問がユウを不快にさせていた。壱の行動が理解できなくて、奴の思考が理解できなくて、ナンバー1111というレイヴンの存在がまったく理解できなかったから。
エネたち準市民のために資金を提供してくれたレイヴンであるはずの奴が、何故こんな道化であるのか――――まったく分からなかった。耳の奥がゴゥゴゥと唸りをあげているみたいに、混沌とした苛立ちが気を荒立て続ける。
「お前は一体、何がしたいんだ!!」
迷いを振り払うように、必中のタイミングで中型ミサイルを発射した。威力として、ワンカウントのどの軽量級パーツも一撃で致命傷を与えるだけの威力がある。
しかし、中型ミサイルはワンカウントのコアに備えられた迎撃機銃で撃ち落とされた。とはいえ、それはミサイルを用いるなら当然のリスクであり、オーロラシーカーとて予想していたことだ。
ならばと、再びロングライフルを構え直す――――。
「――――1分11秒」
それは、はたして事後だった。
バキンッとナニカが音を立てたのだ。ユウはそれが何の音か、一瞬判断が遅れた。
あまりに、有り得ないから。
それは、ブレイクスルーの右手首があげた悲鳴≠セったのだから。
「……え?」
呆然と見やるしかない。
ブレイクスルーの右手首が折れ曲がっていた。手首に当たる球形アクチュエータが砕けているのだ。やがてロングライフルとマニュピレーターの重みに耐えきれなくなり、右手はロングライフルと共に地面へと崩れ落ちた。
その、岩の地面と衝突した銃身の音すら、虚ろにしか聞こえない。
何が起きたのか、未だに理解できなかったのだから。認識がまったく追いついていないのだから。
「――――まずはァ1撃目だ、オーロラシーカー君」
そこへ投げかけられた壱の声。見やればワンカウントは悠々とハンドガンに次弾を装填していた。
撃ったのだ、ハンドガンを。
しかしそれがいつなのか思い出せない。
そもそも銃口を向けられた記憶がない≠フだ―――――!!
「いまの1撃からァ1分11秒後、私は再び1撃を見舞うぞ? とイってももう32秒が経過してネ。ぼんやりとしていたら死んでしまうヨ。まぁ11分11秒11の11撃目までは絶対に殺さなイけどね、イッキヒヒヒヒ!!!」
「ッ゛…!」
壱の哄笑に覚醒したユウは、ひとまず左手でロングライフルを拾わせ、改めてワンカウントとの距離を取る。しかし、ハンドガンの有効射程外を維持し続けていたことは事実なのだ。それなのに何故という疑問は脳裏から離れない。
「……オーロラシーカー君。君はひとつ勘違いをしていないか」
まるで落胆するかのような声に、オーロラシーカーは再び激昂する。道化に見下されたことへの憤りもあるが、何より焦燥が彼を苛だたせていた。
「何が?! 勘違い野郎はお前の方だろうがッ」
「クッキッヒヒ! 確かに私はキチガイの薬チュウだろぅ? しかしだァ、それよりももっと決定的なミスを君は犯しているのだァよ」
ケタケタと嗤う声に、ギリッと操縦桿を潰し掛かるように力が籠もる。まったくもって分からないのだ、壱の言っている意味が何一つとして…!
「――――…まだ分からないかイ? なら答え合わせだ」
「う、うるせぇええッ!!!」
気の高ぶりを押さえきれず、半ば反射的に中型ミサイルをワンカウントにロックした。完全に静止している今なら、石筍と鍾乳石で入り組んだこの地形だ、ミサイルを回避することは難しい。
だがそれを。
『ダメです!!!』
誰かが制止した――――けど、トリガーはもう引いてしまっていた。思い返せば、殆ど八つ当たりに近い選択だったのかもしれない。
嗚呼そういえばと、刹那の瞬間にオーロラシーカーはやっと、血の気が引いた脳で見やれていた。
ワンカウントの右手に持つハンドガンから、硝煙が上がっていたのを。
―――――次瞬、ブレイクスルーの背で爆発がした。
◆
爆発は凄まじく、ブレイクスルーの背中を焼いた。しかし、咄嗟に誰かが<Gクステンションの急降下ブースターを噴かしていたおかげでブレイクスルーは火急に屈んだ姿勢を取っていたため、大事には至らなかったようだ――――そう、オーロラシーカーはすべて事後に理解した。
爆発したのは、トリガーを引いたことで発射態勢に入り、今まさに飛び立とうとしていた中型ミサイルなのだと。
発射管を開き、頭を出したミサイルが直後に射抜かれ≠ト、残弾と共に誘爆したのだ――――そんなオーロラシーカーの分析は、この場にいる者の中で最も愚鈍で、最悪だった。
ミサイルを射抜いた<iンバー1111よりも、見かねて手助けした<<潟汲謔閧煦ウ倒的に遅いその認識が、オーロラシーカーの沸騰していた血潮を急速に凍結させていく。鈍つくすぎる自身の思考が、そっくりそのまま自身を切り払っていった。
あまりに惨めで、間抜けで、自分を嫌悪する吐き気が冷却剤となって興奮を打ち消したのだ。
「……悪い。迷惑かけた」
素直に言葉が漏れる。それ以外、弁明のしようがなかった。
『本っ当ですねぇ〜です。仮免マスターはやっぱり仮免さんのままです』
メリルの音声が背後から響く。声はあの人形から漏れているのだろう。
「ああ……啖呵切ったくせに、情けネェな…俺」
『てんでダメダメさんなのですぅ。でも、仕方のない事なのですよ? だって元々、実力が霄壌の差なんですから』
そこまで言われるか、とも思うが否定しない。機械であるメリルが言うのだ、それは真実なのだろう。
またそれを肯定する事象がこうも目の前で展開されているのだ。ここで強情を張るのは、それこそ現実を直視しないナルシストのする事だろう。
「キヒッ、どうだね。答えが分かったぁかね?」
ワンカウントは再び次弾を装填していた。ハンドガンは再び火を噴いていたのだ。
それが何時だったのか、オーロラシーカーの記憶にはない。銃口を向けられた記憶も、被ロック警告が表示された記憶もない。
だがメリルには見えていたのだ、壱の攻撃が。
「………考えたくもない話だがな」
それこそ、有り得ないと思いたかった。
けれど。
「次も1分11秒後か?」
「そのつもりさ、約束するヨ。私は1≠フ誓約は絶対に破らないィ」
「なら、答え合わせはその時だな…」
ふぅと息をつき、ゆっくりと横に歩を進めて間合いを詰める。ワンカウントは頭部だけこちらに向けてきて、殆ど動きもしないまま対峙していた。
『ご主人様ぁ?』
「やめろってそれは」
『なら仮免マスター、答えならメリルが…』
「いや。それは自分で見定める。このままじゃ情けなさ過ぎて窒息しそうだ」
言い分に納得したのか、メリルは押し黙った。
ジリジリと、AC戦ではおよそ有り得ないほどの静寂が洞窟を支配する。鍾乳石から溢れる水滴の音さえ確かなくらいの、静かな緊張にアリーナは包まれていた。
冷静になった脳で考えれば簡単な話だった。距離にして500メートル近い間合いがある現状では、幾つかの例外を除いてまずレーザーブレードでの攻撃は考えられない。そして、その例外が放たれた様子が皆無ならば、残る唯一の武器であるハンドガンの動向を冷静に注視していればよいのである。
幸いにもワンカウントは動いていない。そしておそらく壱は宣言通り1分11秒後、つまり試合開始から3分33秒後に攻撃を仕掛けてくるだろう。壱もその答えを見せるつもりなのだ、挑戦の如く。
受けて立つしか、ない。
タイムカウンターが刻々と時を進めるのを見やりながら、ユウは全神経でワンカウントのハンドガンを見据える。
残り10秒を切る。目を見開く。
残り5秒で全身を神経にし、残り3秒でブレイクスルーのセンサーと一体化するような意気込みで刮目する。
残り1秒を過ぎて。
―――――予告通り放たれた。
しかし銃口はブレイクスルーを見てはいない。真っ直ぐ地面を見やったままだ。
それなのに、その超音速の弾丸は――――。
「ッ?!」
反射的にブレイクスルーを動かすが、あまりに遅い。弾丸はブレイクスルーの頭部目がけて飛翔し、レーダー装置を砕いていった。
致命傷ではない。カメラは活きている。センサーも数割が死滅したがそれでもただ1機のACを捕捉するには十分だ。
けれど、なんてデタラメかと、思わず奥歯を噛みしめた。
「お前……本当は、何なんだ?」
本心からの疑問を唱えても、道化は道化言しか語らないと分かっているのに、それでも問いかけてしまったのは――――単純に、そのスキルに感服したからに他ならない。
「なぁに……ただの1好きのピエロだよ。キッヒッィ!」
予想通りの壱の剽軽な声色すら、もう嘲りはしない。この道化をもう滑稽とは到底思えない。
何しろこれほどまで正確な跳弾≠行うレイヴンなど、ただの道化であるはずがないのだから。
その恐るべき光景が、数十秒を経たいまも目に焼き付いて離れない。
地面に突き刺さるであろう弾丸が跳ね返り、石筍で方向転換して殆ど失速することなく威力を維持したままブレイクスルーへと襲いかかってくる光景が、目の奥でずっと繰り返し繰り返し再生され続けている。この悪魔染みた技に、ユウ・サワタリの視覚はすっかり魅入られてしまっていた。
ならば初撃の右手首への攻撃も、第二撃のミサイルへの攻撃納得がいく。跳弾を利用して、手首を真下から、ミサイルを上から穿てば装甲に邪魔されることなく脆弱な部位を貫けるというわけなのだから。
「……とりあえず俺が勘違いしてたのは、アレか。有効射程≠ニ実際の射程≠ヘ違うってことだよな?」
「そぉいうことだネ。有効射程外に弾が絶対に届かない、なんてことは有り得ないんだよ。覚えておくとイイ、怪物のような鴉どもの射程≠ニはカタログスペックではなく攻撃が届く距離≠ネんだよ、イッイッイ!」
なるほど。これなら確かにFCSが捕捉していようがいまいが、銃弾が失速しない距離は有効である≠ニいうことなのだ。
オーロラシーカーはチッと舌打ちして、その畏敬を表す。
確かにナンバー1111は、かつて11位だったレイヴン――――トップランカーの手前に「1が多いから」という理由で君臨していた鴉なのだと認識を改めさせられたのだ。
『仮免マスター、答え合わせの結果はどうでしたです?』
押し黙っていたメリルが訊ねてきた。眼前では再びワンカウントが、左手で次弾を装填している。
「最悪だよ」
答えながら、左手に持たせていたロングライフルをリロード中のワンカウントへと発砲させた。黒と白のツートンのACは戯けた様子でくるりと回避しながら、リロードを続けている。
最初は気がつかなかったが、あれほどの被弾を受けて尚も、あのワンカウントは動作に全く支障を来してはいないのだ。削れているのは装甲のみであり、動力や各部のアクチュエータには何のダメージも蓄積していないのである。
そんな事、冷静に見ていればすぐに判断できただろうにと――――ユウは改めて自己嫌悪した。
眼前ではワンカウントが装甲を削られながらも、しかしその実ノーダメージで回避する様が演じられ続けている。このままロングライフルを撃ち尽くしたとしても有効なダメージは与えられないだろう。
「跳弾攻撃にこの回避能力、最悪以外になんて言えば良いんだよ」
『凄い、じゃないですか?』
「ああ、凄いね。まったくもって凄いよ、ナンバー1111さんは!」
ロングライフルを撃ちながら、ユウは戦法を一転して距離を詰めた。間合いが狭まればそれだけ攻撃を回避しづらくなるので、壱としてノーダメージのままというわけにはいかなくなる筈である。
『でも仮免マスター、跳弾攻撃そのものはそれほどの事じゃないです。トップランカーなら大体の人が出来るのです。困難なのは、跳弾を極めたスクエア攻撃で、これは歴代でも指折りの人しか…』
「ああ、殆ど死んじまった奴ばっかだけどな!!」
殺意を込めて狙った弾丸を、ワンカウントは肩の増加装甲で逸らした。ただ1≠ニいう型番がついているから装備していると思っていたが、壱はあの増加シールドも巧みに利用している。そういえばエネを助けたときも、あれを投げてヴァッハフントの凶弾を防いだのだった。
そうだ。本来ナンバー1111は、そういう型に嵌めた常識がまったく通用しないレイヴンなのだ。
――――否。そもそもトップランカー≠ニいう死神の頂点どもに、遙か高みを飛翔し続ける彼らに、低空を這い蹲るレイヴンの常道を求めることが愚かしい思考行為。彼らはそんな道、当の昔に通り過ぎてしまっている鴉なのだから。
そして分不相応に自信過剰に背伸びして、彼らと同じ道を飛ぼうものなら――――その光に目を焼かれ、気流に翼をもぎ取られるだけなのだ。
いまの自分のように。
知らず、心臓が早鐘を打っていた。今にも全身の血管が張り裂けてしまいそうなくらい、自分は緊張しているのだと実感する。
『手助けしましょうかです? そうすればブレイクスルーの追従性とか射撃精度とか…』
「いや、まだいい。もう少し頑張ってみる」
それでも、メリルの誘いを断ったのは、まだオーロラシーカーというレイヴンは自力でナンバー1111と同じ高度を飛び、対峙しているものだと信じたかったからかもしれない。
壱の実力がトップランカー並なのか、その一歩手前なのかの判断は付かない。けれど、少なくとも彼が11位≠ニいうトップランカーの鼻先を飛翔していたレイヴンである事が紛れもない事実であるのだと、身をもって直面している。
だから最低でも彼と互角に対峙できなければ、オーロラシーカーというレイヴンに先はないのだ。故にメリルに助力を求めるのは、間違いなのだとレイヴン・オーロラシーカーは断定した。
『…ですか』
メリルはただ静かに、そう答える。その声色に感情はなかった。
ワンカウントは相変わらず巧みな動きで、ロングライフルの連射を回避し続けている。単純に加速で回避し、装甲を犠牲にして弾丸を逸らし、石筍などの障害物を利用する。あれほどスタミナのない機体でこうも動けるものなのかと、ユウは改めて壱の実力に感服した。
「さぁ、そろそろ時間だぜ。今度はどう来るんだよ、壱!!」
「そうだねェ。キヒヒッ、そろそろ回避するのも疲れてきたしィ……」
ワンカウントのハンドガンはまた在らぬ方向を向いたままだ。四度目の跳弾攻撃を仕掛けてくるつもりか。
確かに跳弾は厄介だ。しかしどのみち弾丸は一発限りであり、狙っている以上はブレイクスルーが大きく動けば回避されてしまう一撃である。ならば、
「こっちもやられっぱなしは癪だ!!」
突っ込めばいい。ブレイクスルーはオーバードブーストを開放して、一気に亜音速まで加速した。洞窟内に大推力の残響が唸りを上げ、ビリビリと居並ぶ石筍が振動に震える。
「キヒッ」
しかし壱は構わず発砲した。銃口はやはりブレイクスルーではなく天井へ向いており、跳弾攻撃に間違いはない。だが亜音速に乗ったブレイクスルーを攻撃するには、ただ一発のハンドガンの弾速ではあまりに物足りない一撃だ。ユウは構わず突進した。
だが、
『減点です』
これもまたメリルに駄目出しされる結果となった。
ブレイクスルーはユウの意思から外れて急停止したのである。地面に足を降ろし、アイゼンを立てて激しく岩場を抉りながらも、その場に立ち尽くす。
直後、眼前に壁が落ちてきた。天井の鍾乳石が落下してきたのである。あのまま直進していれば間違いなく、ブレイクスルーはACほどの巨大な鍾乳石の下敷きになって多大な損害を被っていただろう。
「ッ……まさか…!」
『跳弾じゃなくて、鍾乳石を落とすためのものだったんですぅ』
メリルがため息混じりに指摘する。オーロラシーカーが助力を断ったにも関わらず、マスターであるレイヴンの制御を奪うサポートAIの存在そのものに対する疑問も勿論あるが、彼女の存在がなければブレイクスルーは間違いなく二度戦闘不能に近いダメージを受けていたのだ。彼女が間違っていない以上、非は自分自身にある。
しかし疑点はまだある。眼前に落下してきた鍾乳石はACの胴体くらいはある巨大な物だ、たかだかハンドガンの火力一発でどうこうできる質量ではない。
『んもぅ。仮免マスターが調子に乗ってライフル撃ちまくるからですぅ』
「……」
その疑問点すら見透かしているのか、口にするより早くメリルが事実を述べた。
なるほど、お膳立てしたのは自分だったというわけか。そうなると今までの攻撃はすべて計算尽くで、オーロラシーカーはただ誘われていただけということになる。まるで誘蛾灯に群がる蟲の如く、手のひらで踊らされていただけだと。
――――刹那だ。黒い影が視界に過ぎったのは。
「ッ?!」
鍾乳石の影から飛び出していた残影は、一瞬で間合いを詰めてきたワンカウントだった。オーバードブーストで一気に肉薄し、鍾乳石ギリギリを飛翔して左手のレーザーブレードを振るっていた。
オーロラシーカーは咄嗟にブレイクスルーを右へと跳躍させるが、間に合わずに左脚が溶断されてしまう。ビービーとコックピットにブレイクスルーの悲鳴の如き警報音が鳴り響いた。
「くそっ! おい、まだ1分11秒経ってないだろ!」
ワンカウントを視界に捉えながら、オーロラシーカーは壱狂いに追求してみる。それは壱の誓約に反するのではないのかと。
「いやいや、私はぁ〜11撃すべてを1分11秒毎に攻撃するとは誓約していないはずだぁよ? 今のは11秒後の攻撃なのだがぁね」
不服そうに述べながら、壱はワンカウントの加速のままにすべらせるようにして石筍の影へと逃げていく。追撃を試みていたオーロラシーカーは舌打ちして、トリガーの指を緩めた。ロングライフルの火力では、あの分厚い石筍を一瞬で貫通してワンカウントを狙うのは不可能だ。
「てーことは、1秒後も11秒後も……ああそうか、111秒後ってこともありえるわけだよな。ご都合なことだ」
「キヒヒヒ。そも、それがアリーナでは自然の筈なのだがね」
「正論だ。けどお前が言うと、何故か腹が立つな」
「光ぅ栄の極み」
ケタケタと嗤う対戦相手の声を通信器越しに聴きながら、ブレイクスルーの機体状況を確認する。隠れているワンカウントを攻撃できる位置にまで移動したいが、ただ歩くだけでも攻撃を受けた左脚に負荷が掛かっているらしい。機体のふらつきが認められた。
『左脚膝関節部モーターブロック、及び左脚部メインスラスター損傷。このままだと機動性にマイナス40%のペナルティですよぉ?』
察してか、メリルが機体状況を的確に伝えてくる。彼女によれば、完全に切断されてはいないというだけで左脚そのものは既に死に体に等しいらしい。立っているのがやっとという深手なのだ。
「よくもまぁ、あの機体でオーバードブーストとブレード攻撃を両立できたもんだ…」
皮肉を吐き捨てながらも、オーロラシーカーは内心で焦燥感にかられていた。
ワンカウントというアーマード・コアそのものは、どうしようもない駄作であることは事実だ。しかし、その乗り手であるレイヴンナンバー1111≠フ実力は、悔しいことだが、オーロラシーカーのそれを圧倒的に越えている。跳弾という神業的な銃技と、惰弱な機体性能の限界を補填してあまりある巧みな操縦技術、1の誓約≠秒単位否コンマで護り続けるその技能と信念――――すべてがオーロラシーカーを超越していた。
機体が機体なら、間違いなくトップランカーの座に連なる威力をもつ男なのだ。ナンバー1111という鴉は。
「そんな相手にこの損傷か……正直、拙いな」
『仮免マスターぁ。メリルなら機体制御でペナルティをマイナス10%程度にしてあげられるです』
「どっから30%持ってくるんだよ、お前は」
『右脚とか左脚の膝関節をロックして足首のアブソーバーと股関節とかでですねぇ。逆間接脚の制御は得意なんです』
「あー…そりゃそうだろうなぁ」
何しろ以前のマスターが、ライオンハートを打ち破って最強の逆間接脚ACの座と、ナインブレイカーの座を同時所有していたような化け物なのだ。いやでも得意になるというものだろう。
『それでどうしますです? そろそろ手伝いますですか?』
「……」
まだ早いと言うのは、オーロラシーカーは二度もメリルに救われている手前、ただの虚栄でしかないだろう。それを理解していながら、それでもメリルの問いかけに即答はできなかった。
何故なら、壱に対してオーロラシーカーというレイヴンはただの一度も手傷を負わせていないのもまた事実なのだ。ここでメリルの助力を仰いでしまったら、オーロラシーカーは、ユウ・サワタリはナンバー1111に対して一矢報いることすらできない軟弱であると認めることになってしまう。
あの道化が飛ぶ空ですら、オーロラシーカーというレイヴンは自分の力で飛ぶことが出来ないと決定してしまうことになるのだ。
それは、事実上の敗北に等しいことだと思えた。
だから即答できない。
けれどこのままでは、精神的な敗北の有無以前に、純粋な力の差によって勝利は見えないとも分かってはいた。
だからこそ、即答できなかったのだが。
「キヒッ、助けてもらったらどうだいオーロラシーカー君」
突如として壱が会話に割り込んできたことに、思考に閃光が走った。
通信機の送信をオンにしていたつもりはない、それでも壱は指摘してきたのだ。オーロラシーカーというレイヴンの心情を読み取っているかの如く。
「君はそのAIを使うことがぁ、卑怯、とでも思っているのかネ? ならばそれは彼女に無礼だぁよ。彼女はァ、あくまで機体を最適化してくれるに過ぎないのだからネぇ」
言いながらもハンドガンの銃口だけを石筍から見せてくる壱。今度は直接狙うつもりかと、オーロラシーカーはブレイクスルーを横へダッシュさせた。だが、左脚の損傷を庇うバランサーがユウの思い描く挙動を妨げ、初動を遅らせる。
「ッ?!」
オーロラシーカーの狼狽に構わず、放たれたワンカウントの弾丸。しかし、どうにか射線上からは逃れられている――――にも関わらず、被弾警報がコックピットに鳴り響いた。
『背部右冷却機構損傷、発熱効率35%ダウン。このままだと熱暴走の危険がありますですよぉ』
「背中……くそ、やっぱり跳弾か!」
舌打ちするしかない、ナンバー1111の攻撃は端から二段構えだったのだ。
回避が成功したと思われた弾丸は、ブレイクスルーの背後の鍾乳石で跳ね返り、地面を経てコアを撃ってきたのだ。それも排熱冷却用スリットというウィークポイントへの直撃である。ほぼ真下から撃たれたことでスリットの構造上防ぐことが敵わず、ハンドガン特有の衝撃がコア内部を打擲したのだ。確認することが出来ないが、外から見ればブレイクスルーの背中は今高熱を帯びた黒煙を噴き出していることだろう。
ACはジェネレーターやブースターなど、ともかく高熱を発する機構を有し、同時に精密機械の集合である以上は熱に脆弱である。そのため冷却系への損傷は、遅効性ではあるが致命傷に他ならない。猛毒を喰らったようなものなのだ。
「助けてもらいたぁまえ。恥じることはない。それではあのナインブレイカーとて、卑怯と侮蔑する対象ではないかイ。ソレは違う違う違う。そのAIは機体の性能を跳ね上げるのではない、搭乗者の性能≠ノ合わせるために機体を補整≠キる存在なのだよ。……それを君は、知っている筈だがねェ?」
ケタケタとした笑い声が、オーロラシーカーにはまるで呪詛のように聞こえる。道化に違いない擦れた声色が、睥睨して説教をたれているように感じられた。ワンカンウトの攻撃の間が長いことから、ひとつひとつオーロラシーカーというレイヴンの無様を論破されている気分だ。
「オーロラシーカー君」
ガシャンッとワンカウントが一歩前進する。ブレイクスルーのロングライフルにロックオンされたままだというのに、ハンドガンを装填しながら悠々と歩いてくる。
それは圧倒的な隙であるはずだった。攻撃の絶好のチャンスであるはずだった。
なのに、トリガーを引くことさえままならなかった。まるで金縛りにでも遭ったかのように、思考と肉体が切り離されている感覚に苛まれている。
ワンカウントの四角い無機質なメインカメラが、ナンバー1111の眼差しそのものに思えた。ぎょろりとして充血しきったあの目、巫山戯た道化に歪みながらも何もかも見透かしたようなあの視線が、神経を停止させている。
それは一瞬のことだ。1秒と満たない躊躇。
だが、オーロラシーカーがナンバー1111というレイヴンに気圧されたという、絶対的な事実に他ならない時間だった。
壱が動くには、十分すぎる間だった。
「ッ…!」
その秒と満たない戸惑いを経て撃ち出したロングライフルの高速徹甲弾は、当然のように横へ弾き飛んだワンカウントに回避される。追って銃口を向けるが、ガキンッとナニカが銃身に当たって射線がずれた。
接触した物体は、ワンカウントのエクステンションに装備させていた追加装甲だった。投擲して当ててきたのだ、オーロラシーカーの行動を完全に予測した上で――――!
「イィイイイイイッッ!!!」
次瞬、壱の雄叫びと共にワンカウントがオーバードブーストで突進してくる。
相対距離からしてロングライフルでの迎撃はもう手遅れ。反射的にレーザーブレードを構えるが、バキンッと左肘が突然ショートしたように動かない。
見やれば、ハンドガンはもう放たれていた。オーバードブーストという不安定な状態でありながら、左肘関節を正確に撃ち抜いてきたのだ、ナンバー1111というレイヴンは。
迎撃が間に合わないと判断し、突進してくるワンカウントから逃れるために機体を跳躍させようとする。
だが、それこそ愚鈍だと何故気づけないのかと――――もう一人の自分が嗤っていた。
視界を光が奔る。振り上げられたワンカウントのレーザーブレードが左肩と頭部を焼き切ったのだ。
視界が死ぬ。左腕が死ぬ。
咄嗟にインサイドのプラズマ爆雷を放とうとする――――だがそれすら、ワンカウントの両の手にハッチを押さえ付けられて動きもしなかった。
左腕は動かない。メインカメラは損傷。頭部レーダーセンサーは全壊。
左膝が紫電を発して慟哭している。
機体は発熱で異常だと哀訴している。
そんな相棒に、オーロラシーカーはただ無力に呆然とするしかなかった。
「……君は、恐れているのだろう?」
短兵急に詰め寄り問いかけてくる壱。
なんだ、早くトドメをさせよと愚痴ってまだ7撃目≠ナしかないことを思い出す。
そして自嘲。こんな死に体で、こんな化け物相手に、あと4撃もどう凌げと言うんだよと自虐を浮かべるしかない。それは絶望的な無力感だ。
そんな情けないレイヴンに、この道化はまだ何か言うつもりなのか。
「なんだよ…お前は結局、何が言いたいんだよ」
絞り出すように吐き出した声は、自分でも意外なほど熱を帯びていた。武器を失い封じられ、満身創痍のブレイクスルー同様に、もう精根尽き果てたように思っていたから、その熱気に驚いてしまったのだ。
「そのAIを使いたまえ」
壱は嗤いながら言う。あくまで道化のままだ。
「お前に指図される筋合いはねぇよ」
「それは、怖いからなのだろう?」
またそれか。
「……君は知っている筈だ。そのAIは機体の性能を押し上げるモノではなくレイヴンの性能を発揮する≠スめのAIだと」
「――――」
いや、違う。
壱の声はもう道化ではない。嗤ってなどいない。
ただただオーロラシーカーというレイヴンを軽蔑した感情に染まっていたのだ。
「怖いんだよ君は。ナンバー1111という道化に過ぎない愚かで卑しいはずのレイヴンが実際にはそうではなく、君よりもずっと優れたトップランカー$みた相手だったと知った。君よりもずっとずっと高い所にいる鴉なのだと身をもって味わった。その上でそのサポートAIを、ACのためではなくレイヴンのためだけに存在するAIを使ってしまうことが怖いのだろう?」
だから何が怖い。
壱の言うことが分からない。道化のくせに何を真面目に話している。冗談みたいな存在のくせに何を語る。
「言い当てようか?」
やめてくれ。嘘みたいに強い奴が、ただの凡人に何を講じるというんだ―――――…いいや理解している、本当は初めから分かっているのだ。
このコンプレックスは、ずっとずっと自分を苛んでいるのだから。
掃き溜めみたいに、自分の中で澱み腐っているのだから。
「もしそのレイヴンの為の≠`Iを使っても、自分はトップランカー≠ノは勝てないのではないか。ましてナインブレイカー≠ネどには絶対に敵わないのではないかという事実に直面することが―――――怖いのだろう!!!」
もうケタケタと嗤っていない壱。
彼がいつも通りの胡散臭い道化のままであったのなら、ここまで心は狼狽しなかっただろう。彼が自らの普遍を捨ててまで語りかけてくる事実だったからこそ、オーロラシーカーは、ユウ・サワタリはただ茫然とするしかなかった。
なにせ、その通りなのだ。
本当にこの男は、自分を看破していたのだから。
「君はナインブレイカーではなく、正義の味方とやらを目指すことにしたそうだね。で、それがナインブレイカーという最強への諦観ではないと、どうして言い切れるのかね?」
断言できるわけがない。オーロラシーカーは未だにプロビデンスという赤いACの威力に畏れているのだから。
しかし、けれど。
「……エネ・ノイル、彼女が人質の中にいるのだからね」
「――――」
唐突に。
「で、その守ると決めたモノの世界≠こんな低俗な道化の理不尽に、こんなくだらない悪に為す術もない正義の味方が、何の役に立つのかね?」
唐突に、視界が。
「どうした……答えてみろ、臆病者のオーロラシィィカァアッ!!」
唐突に、混沌とした思考が晴れた気がした。
ただ脳裏に浮かぶのは一人の女性のことだけで。
その彼女を形成している世界だけで。
そんな小さな小さな世界のことだけで。
それだけが、ユウ・サワタリの真実なのだとハッキリ見えた気がして。
「この世にはな、もっと俗悪で愚劣で卑劣で冷淡な理不尽など幾らでもあるぞ。幾千幾万の暴力と悪が跳梁しているぞ。なのに君は、ユウ・サワタリは、正義の味方はナインブレイカー如き≠ノ屈したままで一体何を護るというのかネッ!!!!」
その真実を前にすれば、ああ確かに。
百機の兵器を瞬く間に壊滅させた、あの鬼神。十数のレイヴンをすべて一撃で屠り尽くした完全なる死神。
完全なるナインすら打ち砕くナインブレイカー。
あの赤い神意を纏ったあんな化け物如き°逐できなくて何が正義の味方なのだろう――――!!
「ああ、その通りだなぁ…ナンバー1111ィイッ!!!」
振り上げた右腕は手首がない。だが敵という害悪を殴り飛ばすのに、そもそも掌の有無が関係あるものか。
ワンカウントの頭部を思いっきり殴打した右腕は、露出した手首の間接のシャフトが拉げ紫電を撒き散らした。傷口が開いたかのように流血し、骨を剥き出しにして慟哭に震えているかのようだ。
だが、そんな痛みは相手を打ち倒してから考えることだ。
「キヒッ!」
ワンカウントはその場で踏ん張って左腕のレーザーブレードを発振した。だが、殴られた衝撃に貧弱な軽量級はインサイドの開口部を手放している。
ガチャリとブレイクスルーの鎖骨辺りが開き、大量のプラズマ爆雷を発射した。単に高圧縮したプラズマ弾を大量にばらまくだけの武装だが、こうも密接したゼロ距離では凄まじい火力を発揮する。
ワンカウントは堪らず退きながらも、ハンドガンを撃ってきた。そう何度も被弾してやるわけにはいかないが、生憎と今のブレイクスルーに機敏な反応は望めないし、オーロラシーカーにそんな超反応技術もない。右脚に命中した弾丸は、狙い通り足首を砕き確実にその機能を低下させてきた。ブレイクスルーが転倒寸前だと絶叫する。
ならば、機体を根本から動くようにするしかない。
「待たせたな。出番だぜ」
言う。ここまで意固地になっていた自身に業を煮やしながら。
『やっとですか。今からだと挽回は難しいですよぉです』
メリルは即座に答えてくれた。
「言うなよ、気難しくできてるんだ。特に、平凡な人間はな」
『いいえ、単に仮免マスターが面倒くさいだけですぅ』
くすり笑うような返答の瞬間、ブレイクスルーの挙動が見る見るうちに回復していくのが分かった。痛みに震えていた躯体が、恐怖を振り払ったかのようにしっかりと地面を踏みしめて立ち上がったのだ。
『右足首アクチュエータ圧力変更、左膝関節ロック、アブソーバー全開。右背部冷却機構閉鎖、冷却剤流動率を変更、各部損傷に対してOSプログラム補整及び各パーツのアクチュエータ制御へ随時干渉――――演算完了したです。あとはご自由に頑張ってくださいです』
「簡単に言ってくれるぜ」
お気軽なメリルに対して、ブレイクスルーの再起ぶりに感心しながらも、打開策の不透明ぶりに倦ねいた。
壱の宣言では、奴の攻撃は残り2撃。時間ももう10分を過ぎていることから、決着をつけてくるはずだ。
対してブレイクスルーの武装で無事なのは、もうプラズマ爆雷のみという状況だ。右腕はただの殴打しか放てず、左腕は肘から下が動かない。そのうえ悲しいことに、操作性や追従性は確かな向上を感じられても、劇的に強くなった実感はやはり皆無なのだ。元々オーロラシーカーというレイヴンはブレイクスルーという愛機に何の不満も抱いていなかったのだからそれは当然の事、パイロットの性能が機体性能を越えていなければメリルはけして活かせない。
だから超えるしかない、というのは不可能だ。そんな簡単に自分の限界を超えられたら何も苦労はない。
けれど、その戦いを打破しなければ成長もまた、有り得ない。
「さて、そろそろ魅せようか……1のフィナーレを…!!」
ハンドガンを向けてくる壱に対して、オーロラシーカーは敢えて突き進む。奴の最後の一撃はブレード攻撃と宣誓されている以上、その結末が覆ることはない。そしてオーロラシーカーがプラズマ爆雷による近接攻撃でしか決着方法を持たないのもまた事実だ。
ならば、このハンドガンは必ず。
放たれる。
「ッ…!」
バキンッと左インサイドが撃ち抜かれた。爆炎を上げ、コアに急激な温度上昇が確認される。ビービーとコックピット内に警報が鳴り響き、コアの想定耐熱温度を遙かに超えた高熱に、ブレイクスルーが心臓を早鐘にして絶叫する。
だがブレイクスルーの健康管理はメリルに一任した。オーロラシーカーはただ手綱を捌くだけだ。
残るは右のインサイドのみ。しかし、片側だけでは威力として不十分であることは明らかだ。レーザーブレードとの瞬間火力を比較すれば、圧倒的に不利でしかない。
それでもオーロラシーカーは突進を止めない。
壱もまた最後の一撃に構えて突進してくる。レーザーブレード天高く111を掲げている様はまさに1の道化に相応しい風采。
11分09秒、互いは真っ正面から突進する。
ブレイクスルーの脚部にはもう機敏な反応は期待できないし、決着の瞬間に際して、オーロラシーカーの技術に複雑な機動をとる余裕もない。かといって冷却機構を病んでいる上にこのコアの熱暴走では、より高熱を発するオーバードブーストの使用は自殺行為に等しく、そんな火達磨を宥め賺す自信もやはりオーロラシーカーにはない。
ならば真っ向から挑むのみ。否、もう真っ向から挑まなければ気が済まない!
11分10秒、相手は眼前、時速数百キロの加速のままに対峙する。相対速度は亜音速、アーマード・コアという10mの巨人が迫り来る様は本来なら圧倒的な恐怖でしかない。人間の5倍以上もの大質量が戦車を超える堅牢さを持って肉薄してくるなど、普通の人間では恐慌してあまりある暴力だろう。
その暴力が、更なる武力を持って襲いかかってくるのだ。刹那に殺されているかもしれない不安と、神を模したような機械仕掛けの巨躯が放つ無機質な殺意が心臓を食い潰す。恐怖が神経を犯し、兇行が脳を粉砕し、狂気が魂を奈落へと突き落とす。
その1秒の世界で襲いかかってきた数多の害悪を―――――ユウ・サワタリは、すべて淘汰した。
別に強靱な精神とか、気高い信念とか、そういった崇高な類で振り払った訳ではない。ただオーロラシーカーというレイヴンに、そんな贅肉みたいな感情に構っている余裕が皆無なだけのことだった。
何しろ呼吸すらままならないのだ。心臓が停止寸前のように萎縮したみたいに気分は最悪。聴覚は耳鳴りだらけでまったく不能。口の中はカラカラに乾いて逆流しかけの胃液の味すら分からないのだ。自分のことだけで精一杯なのに、そんな恐怖どもの相手をしてやれる余裕なんてまったくない。
情けないことだが、おかげで今ユウ・サワタリの目は一点だけを刮目していた。
相手はナンバー1111、道化を被った常識破り。冗談みたいな鴉が操る無様なACが、必殺を構えている。発振された三連装のレーザーブレード、赤い血脈のように振るえる光の束が、人間を消し炭にする熱と空間を歪める磁場を持って殺意を掲示している。
その振り下ろす速度は秒に満たない。秒の世界の刹那に眼前のレーザーブレードは振り下ろされて、ブレイクスルーに111を刻み、オーロラシーカーを殺す。
それは玉響の一瞬だ。小数点の世界での話だ。
これから起こる事象だ。
オーロラシーカーが見極めるのは――――その1塵の世界。
未知にして、今までずっと逃げていたナインブレイカー≠フ世界。高い高い遙か天空を飛ぶ鴉たちの道。
そこへ今まさに挑戦する――――!
11分11秒コンマ11――――はたして、ワンカウントは宣誓通り、寸分違わずレーザーブレードを振り下ろした。
◆
本来圧倒的に不利であるはずの機体で、宣言通り僅か10撃を持って相手の機動力を削ぎ、相手の武器を殺したナンバー1111は、人々の目には確かに奇蹟を行使する予言者に見えたことだろう。更にはその一撃すべてが1が羅列した時間に放たれたものだという実況に、人々の興奮は多いに募った。
そしてその結末もまた、彼の予言通りに終わるとこの11分の試合の間に誰もが確信するようになっていた。それは彼に従うバスジャック犯のみならず、人質として協力している人々や状況を利用しようと集っただけの報道陣やアリーナ運営局、まったく無関係にただ娯楽として観戦している人々すら、ナンバー1111の宣誓を疑う者はいなくなっていた。
だが、彼女は違った。
少なくとも人質の中ではただ一人、エネ・ノイルはその結末を信じてはいなかったのだ。
「――――正義の味方、か」
いつか彼が述べた言葉、目標を呟く。
反抗グループが設置したテレビジョンに描かれる、二機の逆間接脚アーマード・コアの決闘を観戦していたその眼差しは、とても穏やかで。
「ちょっと子供っぽい言葉だったけど……まぁ、ユウらしい、かな」
その心はまったく疑ってはいなかったのだ。
正義の味方はいつだって、最後に勝つものなのだ―――と。
◆
はたして11分11秒コンマ11――――ワンカウントのレーザーブレードは振り下ろされた。
その1塵の間、壱の反応すら挟む余地のない刹那微塵の期。
オーロラシーカーの反逆は、放たれたのである。
壱はその反射の及ばぬ幕間に見た。
沈むブレイクスルー。
そして、輝く無数の閃光を。
そして、11分11秒コンマ12…13…――――11分12秒が過ぎても、試合は終わっていなかった。
どうあっても、コンコードのアリーナ管制局は試合の終了を告げはしないのだ。
何故なら、両者はともに、健在であったのだから。
ブレイクスルーは満身創痍。頭部を溶断され、右手首はズタズタ、左腕は死に、左膝は動かず右脚は不調に嘆き、コアは熱に蝕まれて不全を訴えている。それでもまだ活きていると戦場に立っている。
ワンカウントは無様、しかしその実は万全達者。装甲という皮膚は引き裂かれ剥脱していても、肉も骨も尚健在。ハンドガンの弾数は死に体を殺すには十分過ぎるほど。その戦意とて兵器として盤石。
――――ただ唯一、その左腕を除いて。
戦塵が舞い、瞬間的な圧力に抉られた洞窟の地面が石ころとなってガラガラと転げ回っている。その中で鍾乳石から溢れる水滴が儚い波音を響かせる。
二機は動かず、静謐と対峙したまま。
「…………狙ったネ」
やがて。
「確かに、確かに確かに私の誓約によれば―――――…キヒッ、イッキッヒッヒヒッッッ!!!!」
壱のケタケタとした哄笑が、緊張を破壊した。その愉快染みた道化の声は、心の底から笑っているようだ。
その理由は単純明朗。
ワンカウントの左腕は、肘から下が見事に失われていたのだから。
レーザーブレードを振り下ろす瞬間、ブレイクスルーの放ったプラズマ爆雷に当てられて吹き飛んだのだ。
しかし、それでは遅い。ただ爆雷を放つだけでは、完全に破壊に達するより先にレーザーブレードがインサイドごとブレイクスルーを両断して終わっている。だからこそ壱はもう片側のインサイドを破壊して完全にオーロラシーカーの手を殺して、完璧な王手を打ったのだから。
「………ああ、そうだな。確かに…メリルのシンクロがないと、こんな賭けをする気にはなれねーよ」
オーロラシーカーの声は疲労困憊に絞り出されたものだった。自身の限界を遙かに超えた集中力が神経をすり減らし、ただ一度のチャンスに立ち向かう気力が体力を食い潰したからだ。
行為は酷く単純にして簡潔としている。
ただ、ワンカウントが振り下ろすレーザーブレードが到達する前にナンバー1111の最後の手段である左腕≠破壊する。そのために必要な条件は、計らずとも死に体のブレイクスルーという機体には揃っていたのだ。
ひとつはメリル。アルヘイムという伝説を築き上げたイレギュラーの性能を発揮し続けたAI。アルヘイムの常識では考えられない神の領域の反応を寸分も逃すことなく、シルヴィリーブへと伝達しその溢れる才気すべてを実現させ続けた不可欠な要素。1塵の間を預けるに相応しい役者。
ひとつはブレイクスルー。残されたプラズマ爆雷は軽量級腕ひとつ破壊する火力には十分であり、この、腕に依存しない攻撃手段を持っていたということ。逆間接脚という屈伸力に優れた脚部を装備し、エクステンションに急降下用の高推力ブースターを装備していたその要素。
そうしてオーロラシーカーは、壱が気付いてももはやどうしようもない刹那に、急降下ブースターで無理矢理機体を屈め、ワンカウントのレーザーブレードが届くまでの時間と、ワンカウントの左腕がプラズマ爆雷で破壊される僅かな時間差を入れ替えたのである。急激なベクトルを生む補助推進器を装備し、二脚では不可能な屈伸を行う逆間接脚だからこそ出来た芸当だった。
けれど、その代償は激しい。元々死に体だった左膝はこれで完膚無きまでに全壊した。メリルのサポートが入る隙もないほど拉げ、動力パイプは飛び出し、シャフトは潰れモーターは焼き切れてオイルを垂れ流していた。右脚首も同様で、ほんの少しの圧力が加われば折れてしまってもおかしくないのだ。
それでも立っていられるのは、脚が完全に動かなくなったことで辛うじて自重を支えているだけに過ぎない。僅かな均衡で立っているプラモデルのような脆弱でしかない。
けれどそれでも、ブレイクスルーは立って其処にいる。ワンカンウトのレーザーブレードをかわし、破壊し、11分11秒コンマ11を経ても健在であり続けている。自分は戦闘不能にはまだ早いと、対戦相手にプラズマ爆雷を突きつけて挑戦し続けている。その事実こそが重要なのだ。
「ヒヒヒ……1≠フ誓約を果たせなかっタ、私の負けぇだぁネ……クッキヒヒヒヒヒ!!!」
つまりそれは、ナンバー1111の敗北を意味するのだから。
「ひとつ、教えろ」
ようやく心臓が激しい動悸に脈打つ程度には回復したおかげで喋ることすら気怠い中、オーロラシーカーは問いかける。
「お前、一体なんなんだ?」
心底の疑問だった。
けれどどうせ、答えは予想できていたのだが。
「―――――キヒッ、そうだな。アルファアンドオメガ、そぉういうことにしておいてくれたまェ! キヒックイッィイッイッイ!!!!」
「はぁ…意味わかんね―――」
壱がそう哄笑した矢庭、ワンカウントから突然煙幕が噴き出した。たちまち視界がゼロになり、眼前のワンカウントの存在すら確認不能に陥る。元よりメインカメラが不調なので、当然と言えば当然なのだが。
「逃げるのかオイ?!」
「いやいや、私も不安だったのでねェ。新たな世代がいつまでも足踏みしていたことにネ。頑張りたまえよ正義の味方君――――!! 悪の秘密結社はいつだって君に付きまとうヨぅクッヒッヒヒヒヒ!!!!」
煙の向こうからワンカウントの足音が響いてくる。本気で逃亡するつもりなのか。
それよりも、いま彼はとんでもなく不吉なことを述べなかっただろうか。
「付きまとうな! いらねぇッ、そんなのはマジでいらんし正義の味方なんて閑古鳥でいいんだよ!! ずっと来なくて結構だッ!!!」
「イッイッイッ照れとして受け取っておこぉう〜」
ガションガションと去っていくワンカウントの姿も見えないまま、オーロラシーカーはああもう!と頭を抱える。
「だから!! お前は一体何なんだぁああああああッッッ!!!!!」
そんな叫びも空しく視界は閉ざされたままで、脚を負傷したブレイクスルーはオロオロと立ち往生するしかなかった。
ただ煙の中から、あの壱を讃えた大合唱が響いてきたような気がした。
『1ぃいい、それは愛!』
『1ぃぃい、それは恋!』
『1ぃいい、それは心!』
気でいてほしかったのだが、どうやら幻覚ではなかったらしい。
『1ぃ〜それはラぁブ・アンド・ピースですぅ〜』
間近の声に、余計に頭痛が酷くなった気がした――――。
◆
『たった今、人質と11番街区の解放を確認しました。お疲れ様でした』
立ち往生記録更新中のブレイクスルーの中でそのメリッサ・ハルネーの報告を聴き、ようやく一仕事終えたのだと実感した。
最もオーロラシーカーにとって、このアリーナ戦は仕事と言うよりも、ひとつの関門だったようにも感じているのだが。そのことを極めて事務的な人間であるメリッサに述べたところで、理解しては貰えないだろうと苦笑する。
「で、犯人グループとかあのゾンビ野郎はどうなったんだ?」
『目下追跡中です。が、おそらく捕捉不能でしょう』
「おいおい、いいのかよそれで」
『治安部の方々はそれなりに力を入れているようですが。何分、事件性が事件性ですので監督局そのものはさほと重要視していない様子です。むしろレイヴンナンバー1111≠フキャラクター性を活かすことを考えているようですし、私もその方が今後のアリーナ収益に繋がると考えています。今回のアリーナの視聴率を知りたいですか?』
「遠慮しときます。壱の人気なんて認めたくありません」
『そうですか。なら、報告は以上です。………ああ、そういえば』
ふと思い出したように、メリッサは付け加えた。
『エネ・ノイルを人質の中に確認しました。ご存じでしたか?』
「……壱に教えられた。それがなんだよ?」
『いいえ。知らないならまだしも、既知で敗北するという無様を晒すようなら、私も渉外官として悲憤慷慨しなければならないかと思いまして』
オーロラシーカーには通信機の向こうで、メリッサが不敵な笑みを浮かべながら鞭を手にしている様が浮かんだ。
「勝っただろうが!」
『ええ、酷い醜態ですが』
言い返せないのが悔しい。メリッサはメガネでもかけ直していたのか、一呼吸置いて続けてきた。
『今のは例え話です。今後のために忠告しておきました。それにしても妙な話ですね』
「何だよ、今度は」
『先刻と矛盾する内容でしょうが、私は、貴方が勝利するものとは予想してはいませんでした。ナンバー1111の戦績を鑑みれば、オーロラシーカーの敗北は十中八九確定的であったからです』
メリッサは淡々と語る。機械なのではないかと疑うくらい冷淡な性格の彼女は、相手の心理などお構いなしに事実を並べ立てる質だ。そういう意味で言えば、オーロラシーカーの勝利こそがまさに奇蹟の代行であった、とでも言いたいのだろう。
『あのラプチャー防衛戦の折、ナンバー1111が辺境の少数防衛を任されていたことはご存知ですか?』
「いいや、知らなかったな」
『その際の戦績を見れば、誰でも私のような予想を立てるでしょう』
「……」
敢えて訊くことはしなかった。壱がどのような戦果を残していたところで、オーロラシーカーにとってはただの奇怪な厄介な道化であることに変わりはないのだ。それはこの決闘を終えた今であっても不変だった。
『……そうですね、多少は貴方への評価を見直すべきなのでしょう。検討します』
「ああ、そうかい。どうぞ色を付けて宜しく頼んます」
『それではレイヴン、お疲れ様でした』
プツンと一方的に言いくるめて通信を終えるメリッサ渉外官。
「ふぅぅ……にしても」
未だ彼女に対して苦手意識が拭えないのか、自分でも驚くほど大きな息をついてしまった。そして会話の中で『ええ、今のは例え話です。今後のために忠告しておきました』という彼女の言葉を思い出す。
今後というのは、つまり敗北する時は同時に彼女も敵に回るということなのだろうか。あの魔王の目みたいな眼差しをした女を相手にするのは、正直にディソーダーの大群でも相手にした方が気楽そうだ。
「えへへー」
出し抜けにメリルがシートの後ろから顔を出してきた。そういえばあのメイドルックの人形が鎮座したままだったのだと思い出して、ユウははぁとため息をつく。
「なんだよ、何か言いたいのかよ」
どうせ毒舌文句を垂れるつもりだろう、と先に釘を刺しておく。といってもこのメリルが、自分の発言に全く耳を貸さないことは分かり切ってはいるのだが。
例えば、このくすぐったい子供染みたスキンシップを戒めてもどうせ聞き入れはしないのだ。だから何も言わない。別にメイドの格好をした愛らしい少女に抱きつかれて嬉しいとか、そんな事は微塵にも思っていないのである。これがエネであれば桃源郷、とは左脳の隅が妄想したりしている気もするが。
「いえいえ、今回はマスターも結構頑張りましたから。すりすりしてあげるのですよー」
意外にも称賛の言葉を述べてにっこりと笑ってくるメリルは、有言実行と頬をすり寄せてくる。
しかし幾ら人形が子供の姿をしていると言っても、メイドの格好をした少女に頬ずりされるなどユウの人生においては前代未聞の事件である。左脳の暴走がよりいっそう激しさを増して耐熱温度を突破してしまったではないか。
「や、やめろって!」
咄嗟にメリルを引っぺがす。あのままいけば温度計が破裂して、水銀ならぬ脳汁が目から飛び出そうな勢いだった。熱暴走した紅潮を悟られていなければよいが、おそらくそれは無いだろうと内心で肩を落とす。
「うー。折角メリルが褒めてあげてるのにです、いけずぅ〜です。……ひょっとしてマスター、どーてーさんですかです?」
「な、何て事言うんだこの機械が!!!」
メリルの頭を掴んでぐいぐいと振り回した。実は図星だったので当社比二割り増しくらいの勢いで振り回す。
「ひぎゅぅ〜! AI虐待ですー、マスターがドメスティックバイオレンスですぅ〜!!」
「だーかーらー……って待て。お前さっきからなんて言ってるんだ?」
ふと思い当たって、ぴたりと手を止めた。
メリルはうーと半眼でユウの手を叩きながら、
「だから、マスター≠ェ幼女虐待ですよーって言ってるんですぅ〜」
そう言ってきたのだ。
それはつまり。
「………はぁ。なんかさ、よーやく認められた理由って一体何なんだ?」
分かってはいても、つい訊ねてしまう。
そう言うところが頼りないとか、女々しいとでもいうのか。
「うーん。まぁ、前マスターの爪の垢ほどもないですけど、それでも少しは甲斐性が出たかなぁってところで。一皮、といっても1涅槃寂靜程度でしょうけど、万歩譲って合格なのです」
「………地獄に垂らした蜘蛛の糸のよーなお情けの及第点ですか」
「マスターにはお似合いですよ。これであとエネちゃんにきちんと真っ正面から突っ込めたら、もうちょっと評価してあげてもいいです」
「な、何を突っ込むんだよ何を、このマセAIがッ!!」
反射的にがしっとメリルの長いもみあげを掴んで振り回す。自分の思考を振り払う意味でもある。
メリルはうにぃー!うにぃー!と狭いコックピットの中で右往左往していた。痛覚でもあるのだろうか、なんだか居たたまれなくなって自分から手を放してしまう。猫のヒゲを掴んで振り回しているような味わいとでも言おうか。これで自ら身を引かない奴は真性の鬼畜だと確信する。
「ぶぅー。ちゃんと告れって言ってるんですよぉメリルは。エロいのはマスターのどーてーな煩悩です。そういうところが甲斐性ないんです、だからお手手までなんです」
「………なんで知ってるんだよお前は」
また頭痛がした。けれど、メリルの言っていることは正論な気もする。色々と反論したい部分が山ほどあったとしても、結論が的確であれば異論のしようもない。むしろこのメイドに口論で勝てる自信がまったくない。
そう、確かに正論なのだ。
ユウ・サワタリは、今まで流れに任せすぎていたのかもしれないという部分が。
「あー…そうだな。まずは謝って……ってアレはお前が悪くね?」
「マスターの日頃の腹のなさのせいですー。メリルはぜんぜん悪くありませんですぅー」
「……ああ、そうかいそうかい」
ポンポンとブレイクスルーの内装を叩きながら言うメリルに、苦笑するしかないユウ。心なしか、やはりブレイクスルーはメリルの味方のような気もしながら。
「ならそうだな。まずは謝って……それから、今後のことを話すとしようか。色々と」
これからは、その機体と追加一名とで、覚悟を決めて羽ばたかなければならないのだ。
虚飾の目標ではなく、確固たるモノのために。
あの一瞬に見えた真実のために。
それがユウ・サワタリの正義だというのなら、オーロラシーカーというレイヴンはその正義のために漆黒の翼を得たのだろうから。
そのためなら、どんな空だって飛翔してみせなければ嘘なのだ。
「ああ、でもそうなるときっとマスター、エネちゃんファンクラブの人たちに袋にされるですねです。推定100万人に」
「…………それは、俺の真実の範疇なのかな」
それでもやっぱり、ほんの少しだけ後ろ向きな頭痛がしたっていいと思う。
レイヴンだろうと正義の味方だろうと。
ユウ・サタワリという人間はどうあったところで、そんな凡庸な奴なのだから――――。